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明治生まれの「余部鉄橋」、今が最後のチャンスです!


●本日ご紹介しました「余部鉄橋」についてもっとくわしく知りたい方、こちらの参考サイトでいろいろ調べてみることができます。ますます行ってみたくなるでしょう〜。
 おれ、鉄道おたくじゃないから関係ないもんね〜? と、次のメールに進もうとしたそこのアナタ! 私も鉄道おたくではありませんが、見ておいたほうがよいと思いますよ。「東洋一の鉄橋」。今が最後のチャンスなんです。

 BE-PALの表紙の撮影で、国井律子さんと、兵庫県北部の但馬エリアへ行ってきました。JR山陰本線の余部鉄橋。アマルベ、と読みます。「餘部鉄橋」と表記されることもあります。明治45年(1912年)に完成しました。東洋一といわれるゆえんは、なんといっても、その高さです! 41.45m。15階建てのビルくらいある!

 鉄の橋をささえる柱の部分は、鉄骨をやぐらのように組んであります。「トレッスル式」と呼ばれる構造で、93歳を迎えるいまなおトレッスル式としては堂々たる日本一のスケールです。
 昔は鉄橋の上に駅がなくて、地元の人びとは鉄橋の上を歩いてわたり、隣の鎧駅から列車に乗って通勤したのだそうです。それって、かなり怖かったのではないでしょうか?

 今回、撮影を手伝ってくださった有限会社「画流」の清水さんは、若いころに一度歩いてわたろうとしたことがあると言っていました。真ん中あたりまでたどりついたらしいのですが、そのときレールに振動が走り、ガタゴトと列車の音がきこえてきたそうです。橋の上にいると、どちらから列車が来るのかわからないのだそうで。で結局、清水さんは引き返しました。そんなルートを歩いて通勤していたじーちゃん&ばーちゃん、ほんとにたくましいと思います。

 もうすぐこの鉄橋は取り壊されてしまうのです。2010年には新しいコンクリートの橋が完成予定。山陰本線は、そちらを走ることになります。余部鉄橋は「風に弱い」という致命的な弱点があるのでした。1986年には、強風にあおられて列車が落ちるという事故もあり、下のカニ工場で働いていた女性5名と車掌1名がなくなりました。以来、風速20m以上の風がふくと、山陰本線は運休になります。年間平均で136回も運休になるそうです。

 私が最初に余部鉄橋を見たのは19歳のとき。はじめてのバイク旅行でのことでした。2回目は、25歳のとき。当時好きだった女の子と一緒に寝台特急「出雲」で鳥取砂丘をめざしたような気がします。朝目が覚めると、「まもなく余部鉄橋を通過します」というアナウンスが流れたことを、ぼんやり思い出します。
 そして32歳の今回が3回目の余部鉄橋でした。今回はじめて鉄橋の脇の道を余部駅まで上ってみて、ぜえぜえ息が切れるような思いをしました。ふりかえるとパノラマのように広がる屋根瓦。海が絹織物のように午後の光を反射していました。

 なーんて、センチメンタルな原稿を書いていることからもおわかりのとおり、今は夜中です。あと数時間で、新しい太陽が世界を照らすはずです。午前7:10。風が強くなければ、明日も時間きっかりに寝台特急「出雲」が余部鉄橋を通過するはずです。

(BE-PAL編集部/住川亮)



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