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【定年釣り師からの手紙】5月 芽吹き
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ゴールデンウィークが終わった。にぎやかな日々が去って、いつもの静けさに戻った。そんなある日、紫波町のロッド工房「カムパネラ」の宇田さんが、ふらりと遊びにやってきた。
「連休も終わったし、久しぶりに二人で、のんびり川を歩きたいと思ってね」
たまに彼と顔を合わせる機会があっても、連れ立って釣りに行くことは少なかった。彼の誘いが嬉しかった。昼も近いので、近場の川にしようと話がまとまった。
僕が住んでいる一関市から、車で30分も走ると町中を流れる川にぶつかる。大東(だいとう)、東山(ひがしやま)、長坂(ながさか)の地区を貫流して、北上川に注ぐ砂鉄(さてつ)川だ。夏場はアユの釣り場としても人気がある。とうに、桜の花は散っていたが、周囲の野山は芽吹きがはじまっていた。明るい日の光に樹木の淡い萌黄色(もえぎいろ)が、きらめいていてまぶしいほどだ。風もなく暖かな日だ。こんな日を、釣り日和というのだろう。いい季節になった。
さぁ、いよいよ定年釣り師の出番だ。しばらく川沿いを走ると、東山の町はずれにある流れ矢橋(ながれやばし)を渡り、上流へ向かった。山際に点在する数軒の集落を抜けると、狭い上りの道は大きく迂回していて、そこを下ると砂鉄川の流れが目に飛びこんできた。丁度よい水量なのだが、なぜか流れは少し白く濁っていた。
「代掻(しろか)きした、田んぼからの水かな。毛バリの邪魔にはならないだろう。いけるよ」
宇田さんは、そう言い切ると手早く身支度して、川へ下りていった。
里の川は煙るような薄黄緑色に覆われ、芳(かぐわ)しさに匂い立つようだ。鼻をひくひくさせながら、流れに毛バリを放り込んでいった。前を行く宇田さんを、ちらちら見るのだが、魚が釣れてる様子はなかった。いかにも魚がいそうな、大きな岩がある脇の緩やかな流れや、ゆったりとした淵に毛バリを落としていった。一向に魚の気配はなかった。宇田さんは釣れてるだろうか。大分先に行ったのか、姿が見えなくなっていた。
流れの中から、川岸の砂地に踏みこんだその時、足元から何か小さな物がふわっと飛んだ。おや、と足を止めた。足を動かすと、また飛んで砂地に落ちた。小さな虫のようだ。腰を屈めて、砂地の上に目を凝(こ)らした。正体は、2cmほどのハンミョウだった。
甲虫類のハンミョウは、人が追いかけるたびに飛び立つことから「後追い虫」「道おしえ」などの呼び名がつけられている。最近、めったに見ることはなかった。
しばらく釣りそっちのけで、ハンミョウの撮影に悪戦苦闘した。なにせ近づけば飛び立つ小さなハンミョウを、デジカメで撮ろうというのだ。砂地に腹這いになって、逃げるハンミョウを追い回した。汗だくになっていた。そんな恰好でなにしてると、戻ってきた宇田さんが笑いながら聞いた。ハンミョウを見た彼は、こんな美しい虫は初めてだとびっくりしていた。魚はと聞いたら、彼はだめだと首を横に振った。
エサ釣りが一人先行していたので引き返してきたのだという。場所を移動することにした。崖際の踏み分け道を戻ると、木立の陰にタラッポ(タラノ芽)にコサバラ(コシアブラ)が目についた。ヤブの中にはニリンソウが、かわいい花をつけていた。山菜に食指が動いたが、宇田さんの手前、ここは後回しにした。
大東の沖田から川沿いを中川まで一気に上ると、田んぼの側の浅い流れに入りこんだ。ここの水は澄んでいた。川岸の山吹の花は満開だった。この時期釣れる美しいヤマメを、山吹ヤマメと呼んで称讃する釣り人が多い。
前にいた宇田さんの竿先が、ぐいとしなった。水しぶきが上がった。ヤマメだ。今度は僕が前に立った。小さなヤマメが釣れた。ゆっくりと二人は、交互に釣り上がっていった。カラッ、カラッと、どっかでカジカガエルが鳴いていた。
(作家/村田 久)
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