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【定年釣り師からの手紙】12月 北海道を釣る(後編)


●本日の筆者村田氏の著書「定年釣り師 今日も明日もあさっても釣り日和」(小社刊/1470円・税込み)も好評発売中。長年サラリーマン&エッセイストとして活動してきた村田氏の、定年後の新たな境地で書かれたエッセイ集です。
 北海道での初日の釣りは「屈斜路湖」。狙ったのは野生のニジマス。寒いのを我慢して日没まで粘ったが、釣れたのはバカでかいハヤばっかり。この日、ニジマスを釣り上げることができたのは、ただ一人。
 「啓ちゃん、よかったね。でかかったな、あのニジマス。40cmは超えてたね。」
 と、口々に僕ら(釣れなかった3人)は彼を誉めそやす。だが心のうちは、すごく口惜しく、彼が羨ましくてしかたがないのだ。どうして、こっちがゼロなんだ。と落ちこんでさえいたのだ。

 2日目も快晴。ホテルの朝食もそそくさと済まし、釣り場へ向かった。といっても、何所をどう走っているのか、全然見当もつかなかった。なにせ釣り場の案内は、すべて啓ちゃんまかせなのだ。方角は湖の南のようで、丘の連なる牧草地を縫うように走った。
 しばらく行くと車は、ちっぽけな橋の手前で止まった。周囲に民家は見当らず、ほとんど車の往来もなかった。青い絵具をべったりと塗りつけたような空は、雲一つなく明るかった。

 僕より先に川をのぞきこんでいた3人が、なにやら声を上げ騒いでいた。なんだろう。橋の真下の流れをのぞいて、あっと息を呑んだ。流れに逆らって頭を上流に向け、漂ってる魚の群れの背中が見えた。20匹、30匹、いいや、そんなもんじゃない。数えきれないほどの、ものすごい魚の集団だ。

 「すげぇアメマスだ。50cmオーバーのもいるよ。こりゃ、すげぇ、すげぇよ」
 千田さんが、何度もうわずった声を上げた。ここは釧路川の支流で、川の名は「トウベツ川」と啓ちゃんが教えてくれた。 それにしても、なぜアメマスの群れは一箇所に集まって、動こうとしないのか。産卵の時でも待っているのだろうか。なんにせよ、こんな機会はめったにない。僕らは興奮の面持ちで、ばたばたと釣り支度をして、土手からヤブをかき分け川岸に下りた。

 4人はそっと流れの中に立ち、縦一列に並んで毛バリをアメマスの群れに放りこんだ。とたんにアメマスの塊は、さっと砕けて散ってしまった。少しするとアメマスは、また同じ場所に戻って、何事もなかったかのように漂っている。何度やっても結果は同じだった。アメマスは毛バリを振る釣り人の気配を察してしまうか、毛バリを偽(にせ)のエサと見抜いてるとしか思えない。これじゃ、お手上げだ。
 しかし、何かいい手があるはずだ。毛バリを取替えてみた。アメマスの群れの中に毛バリを沈めて、じっと待ってもみた。そのうちに、まぐれあたりに毛バリがアメマスの魚体に、引っ掛るかもしれない。
 無駄な悪あがきだった。釣れる見込みはないと諦めた僕は、川から土手に上がった。

 その時、出たっと大声が聞こえた。啓ちゃんの声だ。急いで駆けつける。
 竿先が今にも折れんばかりに、大きくひん曲がっている。はずすな。逃がすな。と僕は彼の背後で叫んでいた。仲間も息を凝らして見守ってるようだ。なかなか、アメマスが寄ってこない。強い引きに何度も、竿先が引き込まれた。水しぶきが立ち、魚体がひるがえるたびにギラギラと水中が光った。

 ようやくアメマスが浮いてきた。ネットですくい取った。やった、と歓声が上がった。アメマスの大きさに、皆からおーという溜息がもれた。アメマスは、ちゃんと口で毛バリをくわえていた。なんという気まぐれなアメマスもいたもんだ。
 ここの気難(きむずか)しいアメマスに見切りをつけて、上流へ釣り上ることにした。3人は澄んだ流れをザブザブ歩きながら、毛バリを放りこんでいった。木の枝が張り出した浅い流れで、ピシャと水がはじけた。水面を転がってきたのは、手の平に乗るチビッコヤマメだ。

 しばらく釣り上るが、アメマスはあの一匹だけだった。釣り場を移動することにした。とっておきの場所、そこは十勝川だという。新得町を通り、さらに崖際の山道を上流へと走った。この辺り高地にあるせいか山あいの谷川は、あでやかな紅葉で目に染みるようだ。毛バリを振りながら、岸辺の木立に目をやると熟れた山ブドウが見つかった
 毛バリに反応する魚はいなかった。誰もが首を振って、駄目だという仕種(しぐさ)をした。
 ふわっと、足元から何か飛んだ。目で追うと倒木に止まった。蝶々だ。チョウ好きの僕だから見逃せないのだ。秋の蝶は冬を越す、タテハチョウ科のシータテハのようだ。

 さっぱり釣れないことに、啓ちゃんは首を傾げてばかりいた。一気にダムの下流へ走った。広々とした川原が続くが、流れは涸れて貧弱な川に見えた。こんな状況で、魚が出るだろうか。岩と岩の間に、水たまりが出来ていた。ほとんど水は動いてなかった。試しに毛バリを落とした。ツツーと毛バリを引いた。いきなりガバッと水音が上がった。

 思わず竿を撥(は)ね上げた。ゴクッという鈍(にぶ)い衝撃に、すっと竿先が軽くなった。糸が切れたのだ。なんだ、今のは。ごとりと胸が鳴った。

そばで、宇田さんが大声を上げた。竿先が弓なりになっていた。岸辺に引き寄せられたのは、丸々と太ったニジマスだ。前に行く、千田さんの竿も大きくしなっている。こんな流れに、野性のニジマスが生息しているのだ。あなどるのは油断大敵だ。
 浅く狭い流れで、毛バリが引ったくられた。水しぶきを上げながら、ニジマスが上流へ疾走する。なんとかこらえて、ネットですくいとった。続け様に、ニジマスが毛バリに覆いかぶさった。岩陰から、ひょいと飛び出したのはオショロコマだ。腹部に、うっすらと朱点が浮いている。
 僕はいつの間にか、切り立った深い谷間へ入りこんでいた。
            
(作家/村田 久)



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