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【定年釣り師からの手紙】3月 春の吹雪


●本日の釣りの舞台、気仙川のある陸前高田市の情報はこちら。四季折々の豊かな自然が楽しめます。
 川釣りが解禁になった。冬ごもりをしていた太公望たちは、冬眠から目覚めた熊のように動き始める。いよいよ、定年釣り師の僕にも嬉しい季節が巡って来た。俄(にわか)に周囲が慌しくなった。釣り仲間からの電話が、堰を切ったかのように鳴り出したのだ。

 おい、お前は何処の川を狙ってんだ。何かいい釣り場や情報を知ってたら、隠してないで教えてくれ。エサはミミズか川虫、どっちだ。などなど。釣り人同士の探り合いは、解禁当初の儀式みたいなものだ。
 誰だって肝心な所はぼやかして、手の内を明かさない。とはいっても、お互い自分だけの思い込みが強く、抜け駆けしたつもりの内緒の釣り場で、知人とばったり鉢合せということがしばしば起こってしまう。

 3月ともなれば春なのだが、それは暦の上だけの話で北国では、きっぱりと春といえないもどかしさがあった。雪の降る日はあるし、氷点下の寒い朝だってある。まだまだ油断はできないのだ。車の冬タイヤを普通タイヤに替えたくても、ドカ雪が怖くて二の足を踏んでいた。
 3月の上旬、ちょろりと柔らかな温もりの日差しがのぞいた。そんな天気を待ってたかのように、釣りに行こうと気心の知れた友人が誘いに来た。狙うのは食べては美味な、サクラマスの子ヒカリだ。

 「今日はよ。なんとか家族の分だけでも、ヒカリ釣りてぇな」
 車のハンドルを握ってたTが、ぼそりとつぶやいた。解禁初日の釣りも彼と一緒だったが、二人ともヒカリは釣れず釣れたのは持って帰れないチビッコヤマメだけだった。だから今日は、復讐戦なのだ。彼は暗に、そう言っているのだ。僕も同じ思いではあるが、強いて黙っていた。「返り討ち」そんな不吉な言葉が頭をよぎったのだ。

 陸前高田市の気仙川支流、矢作川沿いを走りながら、川岸をのぞきこんでは釣り人を探した。広い淵の前に、長竿を構えた釣り人が一人いた。車を止めたら、気がついた釣り人は振り向くと、首を振ってだめだという仕種(しぐさ)をした。一寸の間見ていたが、本当に釣れないようだ。
 気仙川を上流へと走るが、下流にはほとんど釣り人の姿はなかった。週末なのにどうしたのだろう。世田米(せたまい)の町裏まで来ると、ちらほら釣り人が竿を出している。ということは、上流域が狙い目なのか。

 住田町の上手、本道からの脇道を下って川岸の狭い空地に車を突っこんだ。川沿いに雑木林が連なる土手から、流れに下り対岸に渡った。川は渇水していた。サラサラした澄んだ流れに、てのひらを浸すと、ピリっとした冷たさが走った。
 底石まで透き徹って見える深場に、下はそろりと竿を伸ばした。ばしゃっと、水がはじけてヤマメが飛び出してきた。丸々と太ったヤマメだ。続け様に小さなヤマメが、川面を割った。Tの顔が、くしゃくしゃになっていた。魚の影さえも見えない、川底の砂地からヤマメが現れてくるのが不思議だった。

 いくら粘っても僕が振る毛バリには、なんの反応もない。やけくそ気味に、とろりとした流れ目掛けて何度も毛バリを落していたら、根負けしたのかふらっと黒い影が浮いてきた。いやいや釣り上げられた恰好(かっこう)のヤマメは、ここは何処だという顔付きで、きょとんとしている
 同じ場所から、今度はイワナがのっそりと出た。この流域には、もうイワナはいないと思っていたので少々びっくりした。

 日が陰ったので見上げたら、空はべったりとした灰色に変わっていた。さっきまで青空が見えていたのに、嫌な天気だ。風も吹き出した。Tが上手から戻ってきて、冷えてきたなと言った。ヒカリは一匹も釣れないと、彼は顔をしかめた。丁度昼なので、彼はガスコンロで湯を沸かし、納豆汁をつくった。冷えた身体に、温かい納豆汁がじんわりと染みこんでいく。有り難かった。

 昼食を済ませ、少し上流へ移動することにした。川幅が少し狭まってくる。川岸に銀色の猫柳が、淡い光を点(とも)している。その根元に毛バリを放り込んだら、ビチャッと白い水しぶきが立った。かわいい小さなヒカリが転がってきた。すぐさま流れに帰してやった。しばらく釣り上るが、魚の出る気配はなかった。何処まで行ったのか、Tの姿は前方に見えなかった。
 ふと、冷たいものが頬に当たった。ちらちらと雪が降ってきた。見る見る、吹雪になった。目を開けていられない。そのうち周囲は真っ白に塗れこめられ、なにも見えなくなっていた。

(作家/村田 久)



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