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【定年釣り師からの手紙】4月 春の里山、里川


●本日の釣の舞台、岩手県一関市の観光情報はこちら。桜の花も今が見頃です。
 家の裏手に小さな神社があり、境内の桜は今が満開だった。花冷えが数日続いていたが今日は打って変って、雲一つない青空のぽかぽかとした暖かな天気になった。こんな日に家に閉じこもっているのは、いかにも情けない。もったいないではないか。取る物も取りあえず、家を出た。とっくに昼は回っていた。でも行く先の当てはあった。そこは時間に余裕がない時、ぶらっと出かける散歩がてらの川だった。

 一関市の家から車でおよそ30分。大東の砂鉄(さてつ)川支流鳥海(とりうみ)川。山里の細い流れだ。桜は咲いてると思ったのだが、川岸の桜はまだ蕾だった。路肩が少し広くなってる空地に車を止めた。
 枯葦の中に細い川があり、遠く芽吹きが近い山並が見えた。釣り人は見当らなかった。土手の草むらに、土筆が行儀よく頭をもたげている。一跨(ひとまた)ぎほどの狭い流れだが、水量はほどほどにあり、水は澄んでいた。

 行き交う車は、ほとんどないので全く静かだった。のんびりとした里川(さとかわ)の風景に、ひとりで笑みがこぼれてくる。いい気分だ。これで魚が釣れたらな、と言わずもがなの言葉が胸の内でもれた。草が茂る岸辺に、毛バリを落した。バシャッ、といきなり水面が割れた。思わず腕を上げたが、毛バリはすっぽ抜けて空に舞う。しまった。竿先を上げる魚との合せが、一瞬遅れたのだ。

 まさかの1投目。出し抜けに魚が出るとはうっかりしてた。ぼさっとしてたのがいけなかった。気を引き締めて、魚が出たあたりに毛バリを放りこんだ。油断はできない。しつっこく毛バリを落してみたが、二度と水しぶきは立たなかった。
 上手へ釣り上って行った。ていねいに、毛バリを放っていった。空振りが続いた。毛バリに、ちょっかいを出す魚影もなかった。

 気を張っていたのか、竿を握る手がじっとりと汗ばんでいた。川端に腰を下ろして、一息入れた。やれやれ、のんびり釣るつもりがつい力んでしまった。大人気ないことだ。風もなく明るい日差しが、山あいの里川にまぶしく降り注いでいる。もう一寸だけ、竿を振ってみよう。毛バリを新しいのと、付け替えて立ち上がった。
 岸辺に生えてる葦(あし)の一部が、川に倒れこんでいて流れが狭くなってる箇所が現れた。流れは倒れこんだ葦にぶつかり、そこだけ静かな淀みになっていた。葦にからませないように注意して、毛バリを淀みにそっと落した。バサッと、水しぶきが上がった。水しぶきの中に、白い魚体がきらめいた。
 ククッ、クと竿先が引かれ、大きく曲がった。倒れこんだ葦に向かって、魚はぐいぐいともぐりこもうとする。葦にもぐりこまれたら、それで万時休すだ。強引に竿を立て、葦から引き離して下流へ魚を引き寄せた。

 ネットに収まったのは、うっすらと朱(しゅ)を帯びたヤマメで、しっとりと美しい魚体だ。ヤマメを流れにつけたら、すっと溶けるように消えていった。釣り上って行く。岩の陰で、小さな水煙が立った。水面を転がってきたのは、ほっそりとしたヤマメだ。同じ場所から、同じようなサイズのヤマメがもう1匹出た。これで3匹、出来過ぎだった。釣り竿をたたんだ。春の里川では、このぐらいが丁度いいのだ。

 川岸の木立の中を歩いて行くと、こもれ日の下にぽっぽっと紫色の花が目に留まった。カタクリの花が一面に咲いていた。なにか山菜があるかもしれないと、林の中を目を皿にして歩いて行く。山菜は見つからなかったが、ぽつりぽつりと野花が咲いている。ショウジョウバカマにキクザキイチゲ。咲きはじめたばかりのエンレイソウ。イワウチワまで見つかった。嬉しい出会いだった。僕は帰る時間も忘れて、森の中をさ迷っていた。

(作家/村田 久)



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