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【定年釣り師からの手紙】8月 カワシンジュガイ


●大好評の連載小説『虹の幻灯譜』、いよいよ完結! 長い間ご愛読いただきまして、本当にありがとうございました。
 今年、どうしても行かなければならない場所があった。その場所とは、岩手県下閉伊郡岩泉町の北側にあって、北上山地の山あいを流れ野田村で太平洋に注ぐ安家川(あっかがわ)だ。
 安家川は、川の長さがおよそ50km。人気の釣り場で、清流の象徴と言われる淡水産の2枚貝、カワシンジュガイが生息することでも知られている。ところが年々、カワシンジュガイの生息数が減っているのだ。カワシンジュガイに出会えることが楽しみで、僕は毎年一回は安家川に出向いていた。しかしその度に、カワシンジュガイが激減してる現実を目の当たりにしてきた。

 追討ちをかけるように去年、安家川は大雨による洪水に見舞われた。これまで起ったことのない大水害で、安家川は氾濫しカワシンジュガイは流失したという話が伝わっていた。
 それと、カワシンジュガイの観察と保護を続けてきた大平小中学校の「大平自然愛護少年団」が、小中学校の廃校により36年間の活動に終止符を打つというのだ。これで、生息するカワシンジュガイの個体数と場所までも、地図に記録し続けてきた資料が途切れてしまう。何より子供らの活動中止で、カワシンジュガイへの関心が薄れていくのが心配だ。安家川へ行って、カワシンジュガイが無事かどうか確かめたかった。
 春に駆けつけようと思ったのだが、あれやこれやの雑用で夏になってしまった。道連れは、高校の先生であるKさん。ぜひカワシンジュガイを観たいというKさんは、学校が夏休み中に休みを貰って僕と同行することになったのだ。

 約束の時間、朝6時きっかりにKさんは車で僕を迎えに来た。僕は運転手つきの殿様みたいで、彼に申し訳ないが楽ちんそのものだ。
 だが、とんでもない事が待っていたのだ。
 盛岡市の町中を離れ、岩泉方面への山道に入りこんで外山ダムを過ぎた。岩洞湖畔をたどり、玉山区藪川(やぶかわ)の芳平(よしだい)付近にさしかかった。緩やかな上りの山道が続いている。Kさんは、ゆっくりと安全運転だ。
 と、いきなり右手のヤブの中から、真っ黒い固まりが車に体当たりしてきた。わぁ、と声を上げたKさん、とっさにハンドルを左に切った。
 ゴ、ゴンと鈍い音がした。熊、熊。と2人は悲鳴を上げる。熊はと、車の周りを見たら熊は転がるようにヤブの中にもぐりこんでいった。一瞬の間だった。一寸の間、2人は呆然としていた。

 はっと気がついた。車、車と2人は慌ててドアを開け外に出た。見ると右のバンパーがちょっとへこんだだけでたいしたことはない。どうしたというのだ。猫でもあるまいし、車の前に熊が飛び出してくるとは、こんな事は初めてだ。びっくり仰天だ。
 熊は、ケガをしなかったのであろうか。よけいな心配をする。
 「いやー、つやつやした毛で、きれいでしたね。あれは若い熊ですよ。いやー貴重な体験で嬉しいですね。いやー、すごかった」
 Kさん、こんな熊との衝突など、めったにないことでとニコニコしている。とにかく、これぐらいで済んでよかった。

 くねくねと曲がる難所の山道を解消するため、早坂高原を通らない、新しいトンネルができた。そこを抜けると、岩泉町は直ぐだ。
 龍泉洞を通り一っ走りで、安家川沿いの集落、元村(もとむら)に着いた。Kさんが橋の袂で車を止めた。橋の上に、おびただしい数の蛾の死骸があった。今、県北で大発生している蛾のマイマイガだ。元村から下流へ走り、以前カワシンジュガイを見ている、民家の前の流れを探すことにする。安家川の流れは、青く透き徹っている。川底を覗いてカワシンジュガイを見る箱メガネと、釣り竿を持って流れに入った。

 箱メガネを覗いては竿を振り、川を歩いて行く。前方のKさんの竿がしなり、水がはじけるのがわかった。小さなイワナだった。なかなか、カワシンジュガイは見つからない。
 木もれ日がこぼれる、林の中の流れをたんねんに探したが、貝らしき物はなかった。
 岸辺の砂地のあちこちに、打ち上げられ死んだカワシンジュガイが見つかる。大洪水のせいだろうか。痛ましい限りだ。

 場所を移動して、大平の集落に向かった。廃校の大平小中学校は、人影はなくひっそりとしている。広々とした浅い流れでうっすらと紅をはいたヤマメが出た。カワシンジュガイの寿命は100年ほどといわれ、幼生はヤマメやイワナなどのエラに寄生して成長し、約1ヶ月半後に水温が20度くらいになると、魚のエラから落ちて川の底で生活するという。
 あった。と箱メガネを覗いてたKさんが叫んだ。川底から3個のカワシンジュガイが見つかった。ここではたったの3個だが、カワシンジュガイは生きていた。
 「きれいですね。品があって、何か神々しい感じさえしますね。会えてよかった」
 Kさん、しみじみと言った。川の水もカワシンジュガイも、ひんやりと冷たかった。
 安家川の夏は、もうすぐ終る。

(作家/村田 久)


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31日まで、新鮮な記事を配信いたします。最後までお楽しみに。



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