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50年目の南極。昭和基地から女性隊員の手紙・1
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ここは南極昭和基地。わたしは第48次南極観測隊の医療隊員です。2月16日に砕氷艦しらせが南極を離れ、35人だけの生活が始まりました。今年12月、再びしらせが迎えに来るまで、もう南極から帰ることはできません。食糧、燃料の補給も一切ありません。
昭和基地では、5人の気象庁職員によって日々気象観測が行われているのをはじめ、オーロラ、オゾンホール、地磁気、雪氷、地震、生物など多岐にわたる観測、研究が行われています。そして、研究者らの生活を支えるため、調理、通信、医療、機械、建築、環境保全、庶務の隊員がおり、小さな村を形成しています。
ただし、人手不足の南極では職種を超えて協力していかないと生活が成り立ちません。昔から今に至るまで、基地の建物、倉庫、ヘリポート、大型アンテナ、道路、燃料輸送のパイプラインなど、すべて専門家の指導の元、大勢の素人隊員達が作りあげてきました。医療隊員は代々コンクリートを作るのが伝統です。
基地内は床暖房が行き渡り、半袖で過ごせるほど。食堂、バー、通信室、病院、風呂、トイレ、理髪室、図書室、作業工作室、スポーツジムなど生活に必要な設備は一通り完備しています。現在基地には60棟の建物がありますが、50年前の1次隊の時にはまだ建物は4棟(発電、無線、居住、食堂棟しかなく、当時から個室だったとはいえ、広さ、断熱性など居住性は劣悪でした。特に建物間を結ぶ渡り廊下を作る前にブリザードを迎えてしまい、トイレに行くのも一苦労だったようです。
基地生活においてこの50年で格段に進歩したのは通信環境です。1次隊当時は無線の短波だけが頼りでしたが、現在ではインテルサット、インマルサットが導入され、インターネット常時接続が可能。電話、FAXについても国内にいる時とほぼ同様に使えます。
水の確保も、昔は人力で雪を掘り、解かしていましたから、今と比べものにならないほど大変でした。現在はダム(溜め池)から基地横の130kL水槽まで水を引き、発電機の余熱で温め、ポンプで循環させることによって凍らないようにしています。年に何回か緊急節水警報が発令されるそうですが、隊員総出のスコップによる雪入れ作業はせいぜい年1,2回だそうです。
ただし、一歩基地を出れば、今も昔も変わらない南極の厳しい自然が取り巻いています。快適な基地内にいると忘れがちですが、年に数回は風速20m/秒を超えるブリザードが来ます。ブリザードの中、犬に餌をやりに出て絶命した4次隊、福島隊員のケルン前で毎年慰霊祭を行い、隊員達はこれから始まる越冬生活を前に、南極の自然の脅威を忘れないよう肝に銘じています。
(南極観測隊員/志賀 尚子)
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