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“スキーで歩いて南極点へ”ツアー顛末記17
疲労との闘い、強い風と巨大なサスツルギ帯
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1月8日、南緯86度を超えました。4日にティール空港を出て以来、3サイクル・4日間で約120kmという快進撃です。当初1度を進むのに6日、大雪の日々は8日程かかっていたのを考えるとまさに驚異。
しかし身体の疲労、何より精神的な負担はすさまじいものになっていました。朝起きるのがつらく、行動が苦痛になっている。かなり深刻です。しかしがんばる以外に選択肢はない。
出発したころ、今回の遠征が初めてというピーターやキャメロンと話していた時に思わず口を突いて出た言葉がありました。
「どんなに遠征が長く、どんなに遠いとしても、たかだか60日間、人生よりもずっと短い」。
そう考えればできない我慢はないでしょう。
ヒマラヤでの登山や映画撮影の遠征ともなれば帰国まで3〜4カ月はかかるものが多く、下手すると半年近くロクに家にいられないことだってあった。不便・苦労・不透明・不安時々トラブル& 疲労と苦痛と不平・不満の連続。それらをいかに我慢するか。秘訣でしょうね。
その我慢が苦痛ではなく、先に大いなる望みのある準備、のようなものとして積極的にとらえられていればいいのですが、「早く終われ!!!」と考え、ここから脱出できなくなるとこれは危険です。肉体的限界のみならず精神の疲労が始まるサイン、と私は経験則的に感じていました。
その瀬戸際に自分が入りこもうとしている気がしてならない。朝、もっとも生産的な時間が、苦痛をもってはじまる一日……。自分の先行きが怖くなってきたのはこのころからだったような気がします。
さて、内陸に入っていくに従い、気温はもうマイナス20℃を上回ることはなくなりました。吹き付ける風も厳しさを増します。私はのどが弱いため、冷たい空気をじかに吸い込むのを避けようと(日焼けと凍傷の回避目的もありましたが)、行動中はずっと目出し帽をつけていました。この内側に付着する呼気の氷が日ごとに大きさを増して扱いが厄介になってきたので、ちょっとシステムを変えて呼気が溜まらないよう、つまり外気を直接呼吸する仕組みにマスクを変えてみました。
その結果、初日は問題なかったのが、2日目はのどがヒリヒリし、声がかすれて咳をするようになりました。3日目、休憩時にひどく咳込んでしまい、口から何かが飛び出した。雪面に赤い塊が見えます。唾液は血混じり。雪に這いつくばってその固形物を取り上げてみると、どうやら皮膚というか肉というか……。親指の爪ほどの塊は、早くも完全凍結していました。あまりにも乾燥した低温の空気でのどの粘膜が切れて飛び出したようでした。正直痛かったし、怖かったです。
結局元の目出し帽システムに戻し、氷と格闘しながらやっていくことになりました。これは後に頬の凍傷へとつながってしまうのですが、仕方のない選択でした。
強いカタバ風によって造り上げられるサスツルギもまた巨大化していきました。場所によっては2〜5メートルほどえぐれ、小山のような盛り上がりは越えていった人間を隠してしまうほどです。前が見えない。巨大サスツルギ帯については私たちよりも早くスタートしたチームによって報告がALEに上がっていました。それでも実際目にしてみるとその大きさと深さはただただ驚くばかりです。危険は全くありませんが、自然の力に圧倒されながら、この先に待ち構えるだろうさらなる厳しさに恐怖を感じながら、歩き続けるしかないのでした。
(登山家・ライター/續 素美代)
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