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“スキーで歩いて南極点へ”ツアー顛末記23
南極大陸さようなら。帰国と環境省騒動


●東京都江東区にある「夢の島熱帯植物館」では、夏期恒例の「夜間開館〜ドリームナイト〜」開催中です。開館時間を21時まで延長。小笠原の光るキノコや、夜咲く花の展示の他、コンサートやバリ舞踊ステージなど、ムーディーな夏の夜を楽しむことができます。
 南極点到達の記念に日本から準備してきたことがありました。内緒で飛行機に載せ、パトリオットヒルズで厳重に再梱包して補給に預けたものは、シャンパーニュ。88度地点で補給されて私のそりに載っていましたが、ついに出番。箱を開くと幾分凍っていますがビンには別状なし。人肌の湯せんで溶かし、みんなを誘って外へ出ました。すばらしく良い音がして栓が空き、グラスに注ぎわけます。立ち上る細かい泡の連続は、今日まで積み重ねてきたすべての苦労が昇華していくような気分にしてくれました。
 乾杯! の声がこれほど高らかに誇らしく響いたのは人生初かな。
 ブリュットの味わいが全身に浸み渡ります。
 成功の味でした。

 ALEのツインオッターの迎えは1月26日にずれました。無補給で、ビンソン山を登り、そのまま南極点を目指したノルウェー人女性の二人組の極点到達を待ち、一緒に飛行機に乗り込みました。5時間半の行程です。ツインオッターは空調が効かないのでマイナス20度位。上空から私たちが歩いてきたらしき大陸の氷河をただ見つめていました。57日間、約1200km。
 命がけの闘い。怠けもので根性無しの私の人生に「闘い」という言葉が存在するとは夢想だにしませんでしたが、これは確かに命をかけた闘いでした。
 命をかけても、死ぬとは思わなかった。命をかけるのは限界を超えるため。南極は私の狭い了見と小さな気持ちから、一歩踏み出すための豊かな愛情を注いでくれた。
 空から見る南極大陸は、感謝とよろこび、勝利と自信の涙を誘いました。

 パトリオットヒルズは撤収です。10月半ばに例年の場所に設営されてから3か月半。すべてのテントをたたみ、来年のために整理、修理、記録して雪に埋めます。地下の食料倉庫に来年使える食材を戻し、すべての人員はチリへそして母国へ。屎尿類とゴミも持ち帰ります。大キャンプ地は雪上車できれいに整地され、あとかたもなくなりました。

 イリューシンも最後のお勤めスタッフ全員とても寂しげでした。一人一人が南極大陸を愛している。ここでの活動を心から望んでいる。また帰ってきたいと願っている。南極は素晴らしい魅力にあふれた大陸です。4時間半の飛行中は様々なことを思い返しました。後ろ髪をひかれる思い、心が寂しさで締め付けられるような感じも、いつかまた帰ってこようという気持ちに変わっていき、アスファルトの滑走路の安心感にまたもや解放感。
 くたくたよれよれですが、やはりプンタアレナスの空港で『入国』だけのスタンプを押してもらい、生物、植物、においのある大地に帰着。匂いがあるというのは、感激しましたよ。

 お風呂に入り、ふかふかのベッドで眠り、ピスコサワーと美味しい食事。凍傷のかさぶたも落ちて、ちょっと黒っぽい痕が残るだけ。泊まったホテルにはシャクルトンバーと銘打たれた部屋があり、ここでもまた乾杯しました。この勝利の味は一生忘れないでしよう。
 来た時は200kgほどあった荷物は少し減って120kgくらいです。私の体重も5kgほど減りました。アメリカン航空で、ダラスで乗り継いで日本まで、3日がかりでした。

 成田へは友人の坂本さんが迎えに来てくれていました。私の南極からの連絡を受けて仲間内でメールを回してくれたり、さまざまな対応をすべて引き受けてやってくれたり。最後の1週間、疲労困憊の私が不安と恐怖でいっぱいになっていた時も、穏やかな口調で話す彼女が心の支えになりました。
 何かに挑戦する時は、迷惑をかけたくない意味もあり常に独りだったので、今回の彼女の存在はとても新鮮かつ貴重でした。人に支えられるっていいものですね。

 彼女だけでなくたくさんの人が応援してくれました。昔は応援受けて旗背負ってなんて、カッコワルイ、と思い、またその重荷にも耐えられませんでした。しかし今回はとても多くの人に応援してもらい、支えてもらったことが何よりも励みになりました。 

 ところでこの南極紀行2008には、後日談が付きます。
 帰国後4日目、環境省から連絡がありました。「日本人が南極大陸へ入る際には環境省に届け出をしなくてはいけない。今回はその法令に違反する」。国際法である『南極条約』は、大陸で活動するに当たって許可取得を定めています。これは協議国のいずれに申請してもよく、一つの団体で一括して取得すればいいものです。民間人が南極大陸内に入るには手段は唯一つ。ALEに頼ることになり、ここは大変しっかりした組織できちんと許可を取っていました。

 しかし私に関しては、日本独自の『南極地域の環境の保護に関する法律』に違反するというものでした。残念ながらこのような法律の存在を知らなかった。いろいろと準備もし、調べて、人に会って話を聞いていたけれども、話題に上りませんでした。
 笑えるのが、帰国後すぐの連絡のときにはニュースにならなかったのが、その1週間、突然配信され、2月14日の夕方から翌日いっぱい電話が鳴りっぱなし。鴨下環境大臣(当時)のコメントも出され、24時間ひっきりなし。
 
 心配してくれる人、冗談にする人、犯罪者扱いするのから、記録としてどうなるのかと全く意味不明のことを言い出すのまで。しかし全般的に同情的だったのが救いです。
知らないよねぇ……。
 生まれて初めて『始末書』なるものを提出したときは少し緊張しましたが、仕方がないとあきらめる。3ヶ月くらいは冗談の種に使えたのでこれもありということで納めました。
 しかしトホホの後日談でしばらくは話がどうしてもそっちに行くので、なんというかねぇ…の日々でしたヨ…。

(登山家・ライター/續 素美代)


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★長々続いた南極報告も次回のまとめで終わりとなります。
皆さんに読んでいただけているということも続ける励みになりました。
ぜひご感想、ご意見、質問などなど、お寄せいただければありがたく存じます。

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◇◆お知らせ◇◆
「airBE-PAL」は2008年8月31日を以って終了することになりました。
長い間ご愛読いただき、まことにありがとうございました。
31日まで、まだまだ新鮮な記事を配信し続けます。最後までお楽しみに。



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