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『春駒荘の人々』
第15話
春駒風線香花火

中元彩紀子

 台風一過の翌日は、夏が舞い戻ってきたかのような暑さだったが、時折吹き抜ける風はすっかり秋の匂いを帯びていた。まだ乾ききっていない土の匂いが、住宅街に入り坂を上るにつれ濃くなってくる。新学期が始まると同時に、それまで町のそこここで見かけていた子供の姿が見えなくなった。子供たちの気配は、どこか近く学校の校庭から、ボリュームを絞ったラジオのノイズのようになって、小さく聴こえてくるだけだ。
 
 朝までかかって書き上げた芝居の原稿は、座長やその他の古参に見せたところ、もう少し手直しが必要とのことだった。三日で書き上げた割にはよく出来てるよ、と座長は肩を叩いた。
 「二階に住んでる脚本家っていうのはおまえのことだろ」
 座長の言葉に、答えあぐねていると、彼は言った。
 「今までで一番分かりやすくて、優しい話だよ。誰のために書いた、」
 「べつにそういうわけじゃ、」
 「自分のためだけに書いたんじゃない。だからいいんだ」
 彼はそれだけ言い、稽古場へ戻っていった。
 もうじき僕らの劇団はなくなる。経営難は最初からだったが、ここへ来て、看板役者が他劇団へ鞍替えしたのが直接の原因だった。郷里に帰るものや、他の劇団へ移るもの、就職するもの、それぞれが乗り換える舟を探して忙しくしていたが、それでも皆最後の演目を借金してでもやり遂げると言った座長に触発されて、稽古にはその多くがふだん通り顔を出していた。僕は座長の口利きで、今のところより幾分大きな劇団に所属することが決まったばかりだった。
 「なくなったものっていうのは、消えたように見えて実は形を変えただけなんだ。すべての物事はなんかのきっかけと引き換えに変容する。いいきっかけにするかどうかまでは責任もたないが、夜明け前は暗いもんだ。だからこの解散を俺は歓迎するよ」
 先日のミーティングで、座長はすすり泣く連中を前にそう言った。僕はその日から最後の演目を書き上げることだけに集中した。

 坂を上るにつれ、誰かの話し声がする。春駒荘の前まで来て、その声の主が真弓さんだと分った。僕の姿を認めると、隣にいた佐伯さんとそろって口に手をあて、しーっと言う。きょとんとしていると、二人は僕を道路へ押し戻し、来ちゃったのよ、と小声で言う。
 「誰が、」
 「浪人くんのお父さん」
 僕は二階へ目をやった。梅田君の部屋の西側の窓が開け放たれている。三人で耳をそばだてていると、くぐもった男の怒声が聞こえた。
 「ほらね」
 「何かあったんですか、」
 「あんたは知らないかもしれないけど、毎年刈り入れ前の時期になると農家の実家からお父さんが訪ねてくるのよ」
 「何しに、」
 「そんなの連れ戻しに決まってるじゃない」
 僕が目を丸くしていると、佐伯さんがため息をつく。
 「農家の跡継ぎなんですよ、彼」
 「いつ来ても、つげーっつげーって、熱帯の鳥じゃあるまいし」
 その熱帯の鳥のような極彩色のシャツを着た真弓さんの口まねに、思わず笑い声を立てそうになった時、二階のドアがバタンと開いた。慌てて、どうでもいい話に興じるふりをしていると、やがて今どき珍しいストローハットを被った大柄な男と梅田君が降りてきた。こともあろうにその人が着ていたのが、まるでハワイ帰りのような柄のシャツだったものだから、僕らは笑いを堪えるのにそろって変な顔をしなければならなかった。ひと昔前の借金取りのような男の後ろを梅田君が決まり悪そうについてくる。僕らが口々に挨拶をすると、お父さんは、やあやあと言いながら片手で帽子を軽く持ち上げた。
 「せがれがいつもお世話になっとります。近いうちまた大家さんにご挨拶に伺うかもしれませんので。いやなに、そろそろ諦めて戻ってもらわにゃあってんでね、ええ。じゃあ」
 驚いて口を開こうとするのを真弓さんに制され、僕らは坂を降りてゆく梅田親子を見送った。
 「だいじょぶよ。去年と同じセリフだから」
 「だけど、なんだか梅田君、暗かったですね」
 だいじょぶだいじょぶ、と真弓さんは手をひらひらさせる。
 

 夕方になって慶太たちが学校から戻ってくると、春駒荘はとたんに賑やかになる。階下から祥子の声が聞こえ、やがて火薬のような匂いがしてきた。僕が脚本の手直しをする手を止め、窓の方に向かうと同時に、おーいおーいとくり返す真弓さんの声がした。何事かと思って窓から顔を出すと、慶太たちが花火をしている。真弓さんは自分の部屋の前の庭から、上の梅田君の部屋に向かって叫んでいた。
 「おーい浪人ーっ降りといでよーっ。浪人ーっ」
 それがあまりに執拗なので、梅田君も観念したのか彼の部屋の窓がゆっくり開いた。
 「ろろろ、浪人って、ささ、叫ばないでくださいよ、」
 昼間父親が来たせいだろうか、いつもより吃りがひどい。
 「降りてきなよ、夕飯まだでしょ」
 気をつかっているのだろう、花火だの天ぷらだのといろいろ言って誘っている。
 「僕も降りていいですかね」
 そう声をかけると、真弓さんは来い来いと手招きし、浪人も連れて来い、と目で訴える。僕は分っている、と合図した。
 サンダルを履いて、不在らしい月舘宅を過ぎ、梅田君の部屋まで行くと、ノックする前にドアが開いた。
 「ひ、昼間はどうも」
 曖昧に返事をし、一緒に階段を降りる。
 「あ、あの後、ち、父を坂の下まで送ったんです」
 「そう。真弓さんがいつものことだって言ってたよ」
 「ええ、でも今回は、し、仕送り止めるって言われました。あ、当たり前ですよね、ささ、三年連続ですもんね。感謝しなきゃいけないくらいなのに、」
 最後の方は独り言のような小さなつぶやきだった。僕は、そうか、としか言えなかった。
 佐伯さんの部屋の裏から庭の方へ回ると、縁側にはそうめんと天ぷらが並べられていた。僕らは庭に出したスツールに腰掛け、そうめんをすすりながら慶太たちのやる花火を眺めていた。白から緑、オレンジへと変わる閃光に祥子が嬌声を上げる。
 「あたしは終わった後、バケツに入れた時の、あのジュッていう音が好き」
 「僕はロケット花火の、ひゅいっていう音が好きでしたね」
 「俺も」
 僕と真弓さんと慶太が会話している間も、梅田君は黙ったまま花火を眺めている。
 「暗いよ、浪人っ」
 真弓さんが梅田君の背中をはたくと、彼は何かつぶいやいた。
 「え、」
 「感謝しなきゃいけないくらいなのに、」
 さっきの話の続きか。
 「なのに、どしたの、」
 僕と真弓さんが顔を覗きこむ。すると梅田君はついと顔を上げて、言った。
 「田舎には帰りません、一生」
 僕と真弓さんは顔を見合わせる。
 「一生って。仕送り止めるって言われただけだろう、」
 「やだ、あんた仕送り止められちゃうの、」
 すると、そうじゃないんだ、といった顔で、彼は首を振る。
 「それはいいんです。でも、お、お前にはうちを継ぐほか道はないって言われて。だ、だから、僕はタクシーの運転手しながら、勉強するって言ったんです、そ、そしたら、」
 「そしたら、」
 「タタ、タクシーの運転手なんて、生産性がない、品もないし、将来もたかが知れてる。しし、親戚にも近所にも、かかか、格好がつかないって。お、お前は黙ってたって、あの広い屋敷と農地が手に入るんだって。だ、大学は出たことにして、ささ、再来年帰ってこいって。こ、断ったら、仕送り止めるぞって」
 話しているうちに興奮してきたのか、梅田君の吃音がひどくなってくる。
 「確かに品のないタクシー運転手なら隣にいるけどね。でも、あんたの親父ってやな奴だね、」
 真弓さんが眉をしかめる。
 「ええ。…だから、殴りました」
 えーっと僕らが声を上げると、梅田君は不意に顔を上げてキッパリと、「殴ったんです!」と吃らずにくり返した。
 「あれっ、吃りが治ってるわ!」
 佐伯さんに指摘されて初めて気づいたのか、梅田君も自分で驚いていた。
 グーでやったの、と聞く真弓さんに、グーです、と答えた時も、吃らなかった。真弓さんがケラケラ笑いながら、いい気味、と言うのを、佐伯さんも横で苦笑いしながら見ている。
 
 ビールやジュースの空き缶が二つ三つと増えた頃、花火はもう残り少なくなってきた。祥子がつまらなそうにしていると、梅田君が「ちょっと待っててください」と言って、部屋へ戻って行った。
 しばらくして帰ってきた梅田君が手にしていたのは、工具のヤスリと紙。そんなものをどうするのかと見ていると、彼はいくつかの空き缶を集め、それを広げた紙の上で削り始めた。
 「僕が線香花火を作ってあげます」
 慶太も祥子も興味深げに、梅田君の手許を見ている。
 「缶を削って、鉄粉にしたら紙で巻いて出来上がり」
 しばらくすると紙の上には黒色の細かい粉がたまった。梅田君は紙を縦に半分に折り、折り目に沿って、その鉄粉をのせた。鉄粉がこぼれないように四つ折りにし、それをよじってこよりをつくる。
 「これで完成」
 買ってきたものとは比べ物にならないくらい太くて不格好だったが、僕らは見よう見まねで同じものを幾つも作った。
 「打ち上げ花火には、赤や青や黄色の色がついてるでしょう。あれはいろんな金属の化合物によって作られてるんですよ。例えば、赤はストロンチウムやカルシウム、黄はナトリウム、青は銅が燃焼する際に出る色なんです。これはマグネシウムやアルミニウムの粉末が燃える時の白い光しか出ませんけどね、立派な線香花火です」
 吃らない梅田君は案外頼もしい。
 出来上がった線香花火を持って、庭に戻る。まず、最初に梅田君が手にもったこよりに火をつけた。全員が黙ってその先を見つめている。やがてバチバチッと音がして火花がはじけ始めると、一斉に歓声が上がった。
 「祥子ちゃんたちは危ないからピンセットでつまんでから火をつけて下さい」
 そう言って、再び缶を削り始める梅田君の横で、僕らは自分の作った線香花火に火をつける。僕のは、ほんの二、三秒で終わってしまい、一番長持ちしたのは真弓さんのだった。次から次へと火をつけ、そのたびに、バチバチと音を立てる激しい火花に、子供達も真弓さんもはしゃぎ通しだった。鉄粉を大量に入れた真弓さんの花火が、もの凄い勢いで火花を吹き出し、戦いた彼女がぎゃあぎゃあわめけば、慶太が笑い転げる。
 「これって線香花火の趣きってもんが全然ないよね」
 「真弓さんが欲張るからですよ」
 「まぁ春駒荘はうるさいから、ちょうどいっか」
 そうそういつも僕の勉強の邪魔をする、と梅田君も軽口を叩く。
 
 「花火はパッと咲いて散るところが潔くて好きですね、僕は。うらやましい。僕もそうありたい」
 「大丈夫かい、その、お家のこととか、」
 「大丈夫です。夜明け前は暗いもんです」
 こよりを作りながら、彼は座長と同じことを言った。そして満足そうに笑みを浮かべ、はしゃぐ彼らを見ていた。白く激しい線香花火はやかましくて情緒にこそ欠けていたが、春駒荘の花火としては合格だった。
 耳を澄ませると、皆の笑い声の向こうから、鈴虫の啼き声が聞こえた。もう夏は終わったよ、と告げているのかもしれない。


 
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