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第1話
冥府の羽黒蜻蛉

中元彩紀子

叔父の十三回忌に出向くことになった。電話口で、一哉が代わりに行くから、と伝える母の声がする。親戚の誰かと話しているのだろう。
 「伯父さんには可愛がってもらったでしょ」
 母は電話を切るなりそれだけ言うと、回覧板に判を押して表へ出かけていった。婦人会の温泉旅行では幹事まで引き受けているのに、母は親戚の集まる行事となるときまって、寄る年並で遠出は億劫だと難色を示す。

 父は、僕が小学校の低学年の頃に家を出てしまったが、二年後に自動車事故で死んだらしい。葬式に出た記憶はなく、それは後で聞かされたことだ。夫に出て行かれてからというもの、母は親兄弟やその嫁たちの気遣いにかえって気疲れしてしまうのだろう、社会人になってからは、誰かの葬式でもないかぎり母の代わりは僕が務めるようになっていた。

 母の兄は、峰夫さんという。会社や学校職員など堅実な仕事に就いている他の兄妹たちとは違い、その人は小さな内装屋を経営していた。リフォームなどという洒落た言葉が一般的でなかった時代に、伯父は輸入資材や調度品など、田舎の町には不釣合いで需要のないものも商材に取り入れていた。インテリアコーディネーターと書かれた名刺を得意げに見せる伯父を、周囲は、破天荒な遊び人だと言った。実際、伯父は身なりも派手な気障男だったが、話し上手で人好きのする性格と、飄々とした自由な生き方に、皆少なからず憧憬を抱いていた。還暦を迎えてまもなく肺を病み、あっけなく亡くなった伯父の葬儀の席で母がそんな話をしてくれてから、もう十二年が経っていた。

 遊びがてら、法要の前日から行ってもいいかと聞くと、祖母も伯母も快諾してくれた。車から眺める景色は、向かうほどに緑が濃くなってゆく。子供時分、父が出ていった明くる年の夏休みに、僕は初めて一人で新幹線に乗り、母の田舎へ遊びに行った。駅前こそかろうじて栄えてはいるものの、街から離れたそこは、田んぼと畑ばかりで都会育ちの子供にとっては退屈極まりなく、着いてすぐ憂鬱になったのを憶えている。それでも毎年夏になると遊びに行っていたのは伯父に会えるからだった。伯父は遊びの達人だった。伯父がいる時は退屈などしている暇はなかった。

 折り目をつけた紙の上に、ライターを擦って中の石を落とし、それを折り目に沿ってフッと飛ばしたところへ火を近づける。するとバチバチバチと音を立てて火花が散るのだ。驚く僕に、即席の花火だと言ってやり方を教えてくれたが、夕食の席でさっそく僕が披露すると、子供に危ないことを教えるなと、伯父は祖母たちからひどく怒られていた。それからは専ら外で遊ぶようになったのだが、そこでも伯父は、カブト虫やクワガタの大量捕獲や、ザリガニの上手い掴み方で僕を圧倒した。

 ある時、河原近くの湿地に黒い蜻蛉がいたので、さっそく近寄ろうとすると、それはだめだ、と言って伯父に止められた。
 「それは羽黒といって、捕まえちゃいけないんだ」
 「どうして」
 「羽黒蜻蛉は冥府の使いでね、亡くなった人がちゃんと行くべき場所に着きましたよ、と伝えに来てるんだよ」
 「うそだ」
 「本当だよ。亡くなった人の家族が通りかかると、二匹が繋がってハートの形になるんだ。一哉、見ててみろ」

 僕は伯父と二人、しばらくの間じっと眺めていたのだったが、その金翠の胴に漆黒の翅は、いつまでたってもひらひらと優雅に舞っているだけだった。何も起こらないことに飽きた僕は、じきにクワガタ探しを始めたのだが、伯父はなかなか立ち上がろうとはしなかった。神妙な面持ちだった。

 夕刻近くに到着し、祖母たちと談笑しながら夕食を済ませる。田舎の夕食は早く、風呂に入れば他にすることはない。今では大きくなった伯父の会社を継いでいるという従兄弟も、今日は遅くなるとのことだった。

 「峰伯父さんと遊んだ雑木林、まだあるのかな」
 「川向こうの」
 「そう」
 「売るほどあるわよ」
 伯母は笑って言いながら、カンテラを出して来てくれた。もう九月も半ば過ぎである。陽が落ちるのも早くなった。

 橋を渡るとすぐ右手に、昔伯父とともに遊んだ雑木林がある。意外なほど当時のままの姿で残されていたことに驚いて、辺りを散策していると薄暮の光りもすでに頼りない。灯りを点けようかと、カンテラに手を伸ばした時だった。草地の陰にひらひらと揺れる漆黒の翅が見えた。羽黒の季節はとうに過ぎている。しかし、ひらひらと戯れるように飛んでいる様は、明らかに羽黒だった。ぼうっとして眺めていると、気侭に飛んでいた二匹の金翠の胴が、闇に紛れる寸前、ハートの形に見えたような気がした。

 「十二年もどこで油売ってたんだよ」
 僕は追うこともなく、逃げ水のように遠ざかる彼等を眺めていた。

 
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