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第7話
ベツレヘムの星

中元彩紀子

 デパートの屋上は案の定閑散としていた。レストラン街の閉店時間も迫っている。昼間、子供たちの嬌声を一身に受けていたパンダや象の遊具もこころなしかうつろな表情をしている。熱帯魚屋の灯が端の方でぼんやりと灯ってはいるが、アルバイトの青年も今や居眠りの最中なのだろう。表の水槽がこの時間になってもまだ出たままになっている。そんなくたびれた薄闇の屋上で、端に置かれた小さなクリスマスツリーだけが、投げやりな光をペカペカと発している。
 学生時代に住んだこの街は駅前こそずいぶんと栄えたものの、駅の反対側は私が住んでいた十年前と同じく、バスロータリーの周囲にこぢんまりとした商店が数件あるだけだった。屋上から見下ろすその光景の、あまりの代わりばえのなさに苦笑してしまう。

 大学時代の恩師が急逝したと聞き、通夜に参列した。かつての仲間たちと居酒屋で旧交を暖めあっていたのだったが、その顔ぶれの多くが主婦であったせいか、一人、二人と席を辞し、残ったのは離婚したての寿々子と独身の私だけだった。駅ビルの屋上に上がろうと言い出したのは彼女だった。
 「寿々子、小百合ちゃん待っているんじゃないの、」
 「今夜は兄さん夫婦のところだから大丈夫よ。それより恵理、久しぶりでしょう、」
 「何が、」
 「ここに来るのがよ」
 最後に来たのは十年前のクリスマスだった。あれ以来一度も来ていない。

 福祉学科で私のとっていたゼミでは、近所の教会が経営する児童福祉園へクリスマスの慰問へ赴くのが暮れの恒例行事だった。十二月になると、絵本の朗読会やツリーの飾りつけ、音楽会などを手伝うのだが、イブの夜、子供たちが寝静まった頃を見計らって贈り物を届けるのは、卒業の決まった四年生と決まっていた。冬期休暇に入っていたため、そのほとんどは里帰りしており、イブは恋人と予定があるのだと言って渋る数人を除くと、残ったのは私と寿々子だった。寿々子の提案で、私達はだぶだぶのサンタの衣装と大きな白い袋を縫った。本格的にやりたいじゃない、とやる気を見せる寿々子は、当日、鬚と帽子とお腹に入れる枕まで用意してきて私を呆れさせた。早いところ済ませてさっさと帰ろうと思っていた私に、寿々子は、園を出る際は鈴を鳴らして出ようなどと綿密な計画を立てていた。
 「だって、鈴の音が聴こえれば本当にサンタが来たって思ってくれるじゃない」
 車の中でサンタの扮装をした私達がコーヒーを飲んでいると、園の門が開く音がした。園長の幸子先生の姿が見えたので、車を降りて向かってゆくと、幸子先生は、まあまあまあ、と言い、驚いた様子で私達を迎えてくれた。サンタさんが二人も、と、大きなお腹を揺すって笑う様子に、むしろあっち方がよほどサンタだね、と後ろで寿々子に耳打ちするとお尻を叩かれた。終わったら呼びに来て下さいね、と言って二階へ上がる幸子先生を見送って、園児たちの部屋の戸をそっと開ける。全部で五部屋。各部屋に二段ベッドが四つ。起こさぬよう枕元に贈り物を置いてゆく作業は思いのほか緊張した。万歳の格好でおへそを出したままの男の子には消防車のおもちゃ。片目の取れたウサギのぬいぐるみを抱きかかえている女の子には赤い苺のポシェット。起こさないように順々に置いていく。最後の部屋は二人で手分けして置いていくことにした。寿々子は一人一人に、メリークリスマス、と囁いている。ちゃんと言わなきゃだめじゃない、と怒る彼女に、どうせ分かるわけないのに、と思ったが、彼女があまりに真剣なので言わずにおいた。配り終えて廊下に出るとどっと汗が吹き出る。空の袋をたたみながら二人で幸子先生の書斎へ向かい、階段の下へ差しかかったところで私達は仰天した。階段の途中に、五、六才の少女がしゃがんでいる。しまった、と思い寿々子と私が顔を見合わせていると、彼女は囁くようなひそひそ声で言った。
 「おねえちゃんたち、サンタさんに頼まれたの、」
 返答に困って、うん、と頷くと、彼女は急に背筋を伸ばし、やっぱり、と言って満面の笑みを浮かべた。
 「そうだと思った」
 「そうなの。サンタさんから頼まれたのよ」
 すかさず寿々子は答えると、その少女はふいに眉をしかめた。
 「でもおねえちゃん達、うちのお父さんがサンタさんだってことはナイショにしておいてね。絶対よ」
 意味を計りかねた私が、どういう意味、と聞くのを寿々子が制した。
 「おにいちゃんがこの前のクリスマスの時、言ったの。本当はお父さんがサンタなんだって。そろそろ気づけって。みんなに知れたら大変」
 あんたそれは意味を取り違えてるよ、とは言えず私が口ごもっていると、寿々子は、おねえちゃん達のこともナイショにしておいてね、と言って指きりしている。
 「ねぇ、お父さん、いつ来るか言ってた、」
 今度こそ答えに窮していると、幸子先生が降りてきた。彼女を抱き上げ、耳もとで何かを囁くと、そのまま部屋へ入っていった。じきに戻ってきた幸子先生に、何て言ったんですか、と尋ねると、先生は、早く寝ないと贈り物が消えちゃうわよって、と言って笑った。
 「去年の冬にお母さんを病気で亡くしてね。春にお兄ちゃんと一緒に連れて来られてから、夜の一人歩きがなかなか治らないんですよ」
 母親のことはこの頃では口にしなくなったというが、その代わりに今は父親がいつ来るのかばかりを尋ねてくるという。父親が訪ねてきた明くる日にはもう、次に来るのはいつなのかをしきりに聞くのだそうだ。
 門の先に停めた車までの道すがら、私達は黙ったまま鈴を鳴らして歩いた。車に乗り込んでから何を話したかは憶えていない。

 「ねえ、恵理」
 ぼんやりと回想していると、ふいに寿々子が話しかける。
 「何よ、」
 「男の子は母性だけで育つけど、女の子の幸せには父性が必要なんだって聞いたのよ」
 「誰がそんなこと言ったのよ。あたしは生まれた時から父親いなかったけど真直ぐ育ったわよ」
 「お母さんだけで十分だった、」
 「だからこうして元気で生きてるじゃないの」
 「元気なだけじゃ不安なのよねぇ」
 「何が、」
 「恵理が幸せな恋愛をして幸せな家庭を築いてくれさえすれば、私も探さなくてすむんだけどな」
 「何を、」
 「小百合のサンタさんを」
 あのイブの翌日、私達はデパートの屋上でコーヒーを飲みながら、嬌声を上げる子供達を眺めていた。やがて彼らが親に手を引かれ帰ってゆくまでを見届けた後、寿々子は、よし、子供の置き忘れなし、と言って笑ったのだ。
 「探したらいいじゃない、サンタクロース」
 「探すわよ。恵理がいつまでも独りでいるから」
 「人のせいにして」
 「だって恵理、あの日車の中で泣いたのよ。あの子の気持ちが分かるって。だから次の日ここへ来たんじゃない。幸せな子供を見ようって」
 そうだった。園の子供達に対する悲しみや、子を手放した親達に対する怒りをむやみに持ち続けるのはよくないと言う寿々子と一緒に、あの日私は幸せを見に来たのだ。そして、私達は未来の我が子に、今見たような幸せな子供時代を与えようと話したのだった。
 「でも寿々子、父性ならちゃんとあったわよ、」
 「え、」
 「叔父たちにも祖父にも、あたしはめいっぱい愛してもらったもの。それに」
 「何、」
 「あたし恋愛だって結婚だってまだ諦めちゃいないわよ」
 すると、寿々子はばんばんと私の肩を叩き、そうだそうだと言って私の腕をとると、ツリーの方へ歩き出した。
 「ベツレヘムの星が曲ってるわ」
 寿々子が手を伸ばして、そのツリーのてっぺんに付けられた星を直している。
 「道しるべが曲ってちゃ迷子になっちゃうじゃない」
 ほんとだほんとだ、と言いながらツリーを囲む私達を、熱帯魚屋の青年が不思議そうな顔で眺めていた。


 
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