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第12話
雛人形の怪
中元彩紀子 |
「小学六年生の女の子です。若い女の先生がいいということなので。来週からよろしくおねがいしますね」
眼鏡をかけたトドのような教材会社の男は、顔も上げずにそう言うと、ファイルの上を指でなぞりながら、もごもごと派遣先の住所を告げた。ひと回りの年の差が果たして先方の希望に適っているかどうかも疑問だったが、告げられた聞き慣れない土地の名の方がよほど私を不安にした。最初の面接の際、希望の地域を尋ねられて、どこでもいいなどと答えてしまった自分が恨めしい。
「意外と近いんですよ、あなたの最寄りの駅からだと五つ下るだけですしね。自然がいっぱいで、のんびりしたいいとこですよ、ええ」
言い訳でもするかのように早口だ。
「そうですか、自然がいっぱいなんですか」
「ええ、そりゃもう」
「行ったことがおありで」
え、あ、それは、とトドは口ごもるのだった。
派遣先である奥山家は文字どおり山の奥にあった。列車に揺られること三十分、さらに駅からバスで二十分の山の中。そこへこれから週に二回通わねばならない。親はともかく、遊びたい盛りの本人は決して私の到着を楽しみにしているとは思えず、私はさらに気が重くなった。
駅のホームに降り立つと一瞬身震いがする。夕方とはいえ、山あいの気温はいちだんと低い。もう暦はとうに春だというのに、吐く息は白く濃密だ。小さな駅舎を出、バスロータリーを見回せば、停車しているのは一台だけだった。車外で煙草を吸っている運転手に、降車予定のバス停を確認すると思わぬ返事が返ってきた。
「誰んとこ行くの」
訝しがりながら、奥山家の名を口にすると、彼は小さな声で、ならちょっと手前だな、と呟いた。
「バス停まで行かなくでも奥山さんちの前で降ろしてあげっから」
彼はそう言いながらバスに乗り込んだ。
くねくねと曲る道を進むにつれて、車窓から見える景色の色は陰鬱さを増してゆく。これはえらい辺境の地に来てしまったと悟った時、バスは止まった。
「そこの坂の下に見えるのが奥山さんちだから。じいさんには気をつけて」
最後のはどういう意味か聞く間もなく扉は閉められ、ブロロロと音を立ててバスはさらに山の奥へと消えていった。山道に残された私の他にはまるで人気がなく、聞き慣れない鳥の聲だけが頭上で響いていた。
坂を降りると、そこは広い庭である。庭を突っきり、その奥にあるらしい玄関へ向かおうとすると不意に声がした。
「おや。あんた、センセイだね、」
はい、今日からお世話に……と言いかけて振り向くと、納屋から出て来たのは老人だった。瞬間、運転手の言葉が蘇る。何せ、手には鎌を持っていたのだ。
「……なります、倉田裕子です」
「玄関そっちだから」
老人は鎌で玄関の方角を指し、縁側の窓を開けて、センセイのご到着だよっ、と怒鳴った。「お世話になります」も変な言い方だったなぁと思いながら玄関へまわると引き戸の向こうがいやに騒がしい。ごめんください、と戸を開ければ、三和土の向こうにわらわらと人が。
「まあまあ、お待ちしておりました」
「これが街から来たセンセイかい」
「これだなんて失礼よ、おばあちゃん」
「さ、どうぞ上がって下さい」
「いやぁ、こりゃべっぴんさんだ」
「睦子ちゃんが教わるのかい」
「典子の方ですよ、小母さん」
「英語を教わるの」
「センセイ、どうぞ上がって下さいな」
「バスで来なすったか」
「なんだ、役場の帰りに乗っけて来ればよかった」
「ちょっとみんな座敷きへ戻ってったら」
女ばかり小さいのから大きいのまで、ずらり七人。面喰らいつつ靴を脱ぎ、言われるがまま座敷きへと向かう。そして障子の向こうの座敷き。そこは宴会場のような有り様だった。
「あのぅ、典子ちゃんの勉強部屋はどちらで」
おそるおそる尋ねると、女性たちは一斉に顔をこちらに向けた。そして口々に言うのだ。
「勉強って、もう」
「やだ、センセイ、今日はお雛さんでしょうに」
きょとんとしていると、センセイ、桃の節句知らないの、と小さいのが袖を引っ張る。
「今日はセンセイも交えて、お雛さんをしようって集まってんですよ」
一人の婦人がにこやかに肩をたたく。どうやらこの人が母親らしい。膳の上にのったちらし寿司やら蟹、揚げ物などの料理、ビールに日本酒、甘酒、鍋を、女性たちが囲んでにこにこ笑っている。隅っこの方で、これもやはりにこにこしながら背中を丸めているのがおそらく父親で、隣でちびちびやっている先の老人が祖父なのだろう。他は誰が誰なのかよく分からないまま、すすめられて席についた。
「はい、では。典子と睦子と裕子センセイの健やかな人生と良縁を願って、乾杯」
父親の音頭に続いて、一斉に「乾杯」の声が上がる。
「お内裏さまに災厄を取り祓ってくれるよう、よくお願いしておくんだよ」
玄関で、おばあちゃんと呼ばれていた人が少女たちに言う。勉強を教えに来たはずだったのが、端からこの人たちにその気はなかったようだ。私は知らない土地で知らない人たちに囲まれ、知らない人にお酌をされていた。
「バイリンガルって何だ。うまいのか」
「やあね、おじいちゃん、センセイのこと。本場の英語が話せる人のことよ」
一同が笑う。いい案配にお酒が回って、私はこの一年間の留学生活について語った。イギリス英語とアメリカ英語の違いや、早口の日本語は英語圏ではスペイン語に間違えられることがあるといった話に、一同は、ほう、とか、へえ、と感心した様子で頷く。そのうち、昔は熱海で芸者をしていたという小母さんの一人が三味線を弾き始め、宴はいっそう盛り上がった。
私が、床の間に飾られた雛人形を眺めていると、いつの間にかおじいちゃんが隣に座っている。
「センセイ、うちのは木目込みなんだよ。顔がまあるくて、表情が福々しい」
「通好みですね。私のは京顔なんです」
するとおじいちゃんは久保田の万寿を抱えて、私を縁側の方へ手招きした。
「センセイ、あんた雛憑きって知ってるかい」
「いえ、何ですか」
「田舎の山奥にな、見捨てられた雛人形たちが住んでるんだよ。正確に言うと、人形に取憑かれた人間だね」
「妖怪ですか」
「妖怪だろうねぇ。彼らはね、姫さまを探してるんだ。粗末に扱われて、その辺にぽいっとされて、気づいた時には姫さまの姿がない。官女たちも隋臣も人の姿を借りて、迷い込んだ人間の中に姫さまに丁度いいのがいないか探してるわけだ。若くて色が白くて、器量よしがいいらしい」
「見込まれればお姫さまになれるんですね、羨ましい」
「とんでもない。もし見込まれでもしたら、魂を喰われちまうよ」
「怖い」
「怖いさ。彼らは人好きする様子で、これと見込んだ人間を知らぬうちに仲間にして、屋敷から出られないようにするんだ。センセイ、そういやあんたも色が白いねぇ」
そう言う顔は笑っていなかった。ふと雛飾りに目をやると、人形の目が皆、私を見ているような気がした。そういえば、盛り上がっているこの家の人たちは皆、揃って丸顔である。しかも若い女が希望だったではないか。
「もし逃げようなんて気を起こしたら、鎌でバッサリだよ」
瞬間、肌が粟立った。そんな私に、おじいちゃんはなおも言う。
「センセイ、いくら待ってももうバスは、」
おののいて振り返った時だった。
「おじいちゃんっ」
母親の声が座に響く。
「おじいちゃん、またホラ吹いてっ。去年睦子に泣かれて懲りたじゃないの。センセイ、すみませんねぇ」
おじいちゃんは頭をかきながらにやにやしている。作り話なんですか、と尋ねると、父親が横から笑いながら答える。
「当たり前ですよ。もっとも、しつこい保険の勧誘員が来た時なんかは助かりますけどね」
これに懲りずに来週からよろしくお願いします、と母親はすまなそうに頭を下げる。バスの降りしなに運転手が言っていたのは、このことだったか。気づけば、終バスの時間はとうに過ぎていた。
車で送りますから大丈夫ですよ、という父親とともに玄関を出る。辺りは真っ暗闇だ。振り返ると、やはり来た時同様、三和土の向こうに沢山の丸顔が並んでいる。皆にこにこと手を振っていた。泊まってったらどうだい、と言うおじいちゃんが、皆に叱られている。
彼らが妖怪でないことを祈って、私は奥山家をあとにした。
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