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第20話
四十雀(シジュウカラ)の学校
中元彩紀子 |
取材で訪れた雑木林は、水田の隣に位置している。カメラマンもなく、僕はひとりでこの場所に来ていた。地元のコミュニティー誌の小さな枠で、史跡や都会に残る自然などを紹介する記事を書くためだった。派手な仕事ではないが、ひとりでのんびりと、半ば気分転換がてらに出来る仕事なので、ギャラは安かったが僕はふたつ返事で承諾した。
前日まで僕は散々だった。アイドルまがいのミュージシャンをインタビューした記事に、大幅に赤を入れられた。そんなことはよくあることなので、それに別段腹を立てたのではない。先方の意向ならばそれは仕方のないことだし、職人としては、それに沿った文章に新しく仕立てあげることなど造作もないことだ。だけど、その前の週、僕は指定された空港まで、先方に会うために出向いていた。その日のその時間しかないからということだったのだが、本人が気乗りしないという理由でキャンセルになったのだった。後日、改めてインタビューは行われたのだが、その内容たるやないも同前だった。
「アーチストっていうのは常に乾いてなくちゃいけないと思うわけ」
彼女はケーキの生クリームで真っ白になった口の中を見せながらしゃべった。
「オリジナリティーが大事だからさ」
前後のつながりが不明なのは、どこぞで借りてきた言葉だから仕方がない。その後も、オリジナリティーという言葉を連発していたが、傍らに置かれたルイ・ヴィトンのバッグからハローキティが何匹も顔を覗かせていた。
「こういうのってギャラ出ないの」
ケーキも食べ終わり、そろそろ飽きてきた彼女が隣のマネージャーに話し掛けている。
ないも同然の内容を装飾しまくって出来た原稿に、さらに美辞麗句を加えて書き直し終えたのが早朝だった。編プロの事務所に送信すると、徹夜でもしていたのか、「ほんとにほんとに御苦労さま」という返信がスタッフから返ってきた。
こんな日に、ひとりで散歩がてらに出来る取材はうってつけだ。疲れた頭を休めるために、僕はここへ来たのだった。
駅から街道に出ると、車の騒音が激しくなり、大型車の排気ガスでむせ返りそうになる。陽光のあまりの強さに、背中には汗がつたい、目の前のすべてが陽炎のようにぼんやりとしている。そこから逃げるように住宅街へ入り、二十分も歩いた頃、涼し気な水田が見えてきた。
人気のない小径をとぼとぼと歩いていると、不意に背後から小鳥がさえずるような賑やかな声が聴こえた。振り向くと、それは子供たちだった。その一番うしろにいるのは先生だろう。ネクタイをしめ、黄緑色のリュックを肩にかけた初老の男だ。子供たちは手に手にスケッチブックを持っている。大方、写生会でも開くのだろう。そして目的地も同じに違いない。やれやれ、せっかくひとりで静かに過ごそうと思っていたのに、と僕はげんなりしつつ歩を緩め、彼らを先に行かせた。
雑木林といえど、そこは都の歴史環境保全地域に指定されている。鎌倉時代初期に豪族が築いたとされる城館の跡が、今では雑木林や屋敷林で囲まれていた。ケヤキや菩提樹などの緑の下には、春にはニリンソウ、夏ならキツネノカミソリ、秋ならワレモコウが彩りを添え、野鳥も数多くやってくるという。アマチュアカメラマンたちで賑わうこともあるらしい。
林に入ると、小川のせせらぎに迎えられた。人工音のない散歩道を歩く。時折聴こえてくる鳥の聲と、葉の揺れる音、そして木漏れ日。急に眠たくなってくる。
熊笹の葉擦れに誘われるように、土を踏みしめて歩く。土の上を歩くなど何年ぶりだろう。どこか木陰で休もうと歩を進めると、小径に沿って群生している熊笹の向こうに、ぽっかりと小さな空間が広がっているのに気づいた。ふだんから誰も入らない場所なのだろうか、人が踏んでできるような道は見当たらなかったが、僕は迷うことなく入っていった。
すると、意外にもそこには先客がいた。赤いバイクの横で煙草の煙りをくゆらせている郵便配達員だった。こちらになど目もくれず、ただうまそうに目を細めて煙草を吸っている。さらにその反対側には、ビジネスマン風の男が一人、ごろんと横になって気持ちよさそうに寝息を立てている。額に落ちた前髪が、木立の間から吹く風になびいている。
そういえば、さっきの子供たちはどこへ行ったのだろう。写生会ではなかったのか。
そう思ったときだった。
「……それといいかい、キミたちにとって赤松のコルクはまだ難しいだろうね。でも、いいことを教えてあげよう。コガラやヒガラがいたら、よく観察したまえ。彼らはずいぶんとたくさん貯えているからね。しかし、怒らせるほど失敬しては、」
「いけないのである!」
子供の一人が高い声で言い、くすくすと笑い声が起こる。
声がしたのは、ここより、さらに先の茂みの奥からだった。あの先生と子供達だろうか。僕は興味をひかれて、奥へと足を踏み入れた。少し進んだところで、木立の間から彼らの姿が見えた。私立学校の生徒なのだろう、制服を着ている。白いシャツに細長いタイが揺れている。ブルーグレイの吊りズボンから小さなひざ小僧がのぞいていた。
「先生、人が来るよ」
一瞬ぎくりとし、僕はその場に立ち止まった。屋外授業の邪魔になってはいけない、と僕は元いた場所へ戻り、近くのケヤキの根元に座り込んだ。こちらから彼らの様子は見えないが、時折、声が聴こえてくる。
「大丈夫、人は来ないよ。さあ、この辺りは環境がよい。細かいところをよく観察して、」
「描き始めなさい!」
子供の声に再び笑い声が起こる。
「いいかい、くれぐれも言っておくけれど、美味しそうなものを見つけても、」
「一人占めしないこと!」
ひときわ大きな笑い声が弾けて、彼らの写生会は始まったようだ。僕はといえば、その頃にはずいぶんとウトウトしてしまい、ついには先客の彼らにならって、ゴロリと横になった。木々の隙間から見える青空は高い。傍らの幹に触れると、ひんやりと気持ちよかった。幼い頃、高熱で寝込み、不安な気持ちでうつうつとしているときに触れた、母親の感触。木の幹は、その時の安心感にも似たゆるりとした心地にさせた。
どのくらい経ったのだろう。陽の光が幾分濃くなったように感じる。いつの間にか寝てしまったようだ。僕は起き上がり、辺りを見回した。郵便配達員は姿が見えなかったが、ビジネスマン風の男は、起きて文庫本を読んでいた。
こちらをちらりとも見ないのをいいことに、僕は不躾な目線で、彼を観察する。襟元をあけたワイシャツに、黒系の太めのネクタイを緩め、日陰の切り株に腰掛けている。夏には暑かろうと思ったのは、上着こそ脱いでいたが、それが三揃いだったからだ。ブルーグレイの夏地はなかなか趣味がいい。ずいぶんときちんとした身なりだな、と思ったとき、彼がつと顔を上げた。
「よく寝てましたね」
不意に話し掛けられて、面喰らいながらも、ええ、まあ、と僕は返事をした。
「ここは、さっきの郵便配達員もそうですが、ひどく疲れた人たちが休みに訪れるところなんですよ。彼は、出がけに上司にひどくしぼられたらしい。あなたも、ここに来るとはよほどお疲れとみえる」
「偶然、見つけたんです」
彼は満足げに頷いて、再び文庫本に目を落とした。
「そういえば、あの子たちはどこの生徒ですかね」
僕が問いかけると、彼は怪訝そうな顔でこちらを見、生徒とは、と聞き返した。
「ほら、さっき写生会をしてたでしょう、その奥で」
「そんな子たちいましたかね」
「いましたよ」
彼が目を覚ます前に引き上げたのだろうか。
「ブルーグレイの、ちょうどあなたのと同じような色の制服を着て、そうそうネクタイの先生は黄緑色のリュックを持ってて」
すると彼は、一瞬目を見開いて、突然笑い出した。
「あなた夢でも見たんでしょう。それじゃまるで四十雀だ」
「シジュウカラ」
彼は可笑しくてたまらないといったふうに体を折り曲げ、こちらを見ている。
「そう、四十雀。首から上は黒くて、頬は白い。上背は黄緑色で背は青灰色、体下面は白色。ここは野鳥が多いところですからね。あんまり小鳥がさえずるんで、夢にまで出てきたんでしょう。それにしても、林の中に四十雀の学校があるなんて」
なおも笑う彼に僕は少々腹を立てて黙り込んだ。
「いや、失敬。で、彼らは何を」
「写生会でしょう、スケッチブック持ってたから。それと授業ですよ、赤松のコルクは難しいだの、コガラやヒガラはたくさん貯えてるだの」
笑いを抑えて聞いていた彼が次第に真顔になってゆくのに気づいて、僕は黙った。
「なるほど。で、あなたは彼らを見たんですか」
「ええ、ちらっとだけですけど」
すると彼は、もう我慢できない、といった面持ちで、再び大口を開けて笑い始めた。その笑い方があまりに豪快だったため、僕はあっけにとられて、ただただ彼が笑い止むのを待つばかりだった。
ひとしきり笑って、目尻の泪を拭うと、彼は「失敬失敬」とくり返し、上着を拾って立ち上がった。僕も立ち上がり、茂みの奥を覗こうと足を踏み出した時だった。
「そうですか、あなたは見たんだ」
「え」
振り向くと、彼はネクタイをきちんとしめ直し、尻の辺りをパンパンと叩きながら言った。
「今日のことは、あまり口外しない方がいい」
「バカにされるからでしょ、」
僕が腹立ちを隠さずそう言うと、彼は意外にも真面目な顔をして、僕からのお願いです、と言った。そして軽く会釈すると、彼はそのまま踵を返して林道の方へ去って行った。
僕はさっき躊躇した茂みの奥へと足を踏み入れた。
そこは何もなく、三メートル四方の空間があるばかりだった。彼らはまだ、どこかで絵を描いているのだろうか、それとももう帰ってしまったのだろうか。まんじりともしないまま、足下の小石を蹴った時だった。パタパタパタッ、とどこからか小鳥が一斉に飛び立つ音がした。見えたのは一瞬だけだったが、その中の一羽は、どこかで見たようなネクタイをしていた。
「ナイショにしておくよ」
足下に転がった、ちびたクレヨンを拾って、僕はそうつぶやいた。せめて、どんな絵を描いたのか見ておけばよかったなぁ。そう思ったとき、頭上で、ツィーツィーという啼き聲が聴こえた。
ひどく疲れた日の午后、再び彼らに出会うことがあれば、今度こそこっそり正体を見てやろうと思うのは不粋なことだろうか。もっとも、ここが見つけられればの話だが。
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