air BE-PALスペシャルコンテンツ「虹の幻灯譜」
第7話

黄泉路の百舌鳥

中元彩紀子

 「お父さん、あれなに、」
 「ああ、あれは百舌鳥のはやにえっていうんだよ」
 「モズってなに」
 「百舌鳥っていうのは、雀に似てる小鳥のことだよ」
 「だってあれ、雀に似てないよ、トカゲだよ」
 「あれははやにえだよ。百舌鳥がとった餌をああやって枝に刺しておくんだよ」
 「どうして食べないの」
 「食べきれない分をああしてとっておいて、後で食べるんだろうね。それとも脚が弱いからフォークの代わりにしてるのかな」
 「あのトカゲ、うちの庭にいたやつかなぁ」
 「さぁ、どうだろうね。ほら、あれは百舌鳥の鳴き声じゃないか」
 そんな会話の果てに目覚めた朝は決まって、のどが渇いている。夢の中で、小さな息子は両の目を広げ、また短い腕を伸ばし、ときにケタケタと体を揺さぶって笑う。秋口に聞いた百舌鳥の高鳴きが、息子の笑い声と似ていると思ったのが夢見のきっかけだったように思う。息子の夢を見るようになった頃、私は自宅で寝起きするようになった。

 「のどが渇いた。水をくれないか」
 妻に呼びかけると、彼女は「はいな」と明るく返したのち、コップを持ってきた。
 「またですか」
 ベッドのふちに腰掛けて、こちらを覗き込む妻もずいぶん頭に白いものが目立つようになった。
 「どんな夢なんですか。悪夢、」
 「いいや。でももったいなくて教えられない」
 笑いながら答えることでごまかそうとするが、とたんに咳き込んでしまう。けちねぇ、と言いながら、妻は立ち上がった。 
 「ああ、そうだ。香奈ちゃんが午後に来るそうですよ」
 今年、大学に入学した姪の香奈は、私が欲しがる本や映画のビデオを届けてくれる。妻とも気が合うらしく、茶の間から聴こえてくるはじけるような笑い声が、私たち夫婦にとってはありがたい清涼剤だ。
 もし私が息子の夢を見ていると知ったら、妻はどう思うだろう。父親の余命を察した息子が呼びに来たと思ってふさぐだろうか。それとも、今はもう話題にのぼらない息子が、二人の日常のそこここに幻影となって現れ、再び喪失の中へ引き戻されるだろうか。いずれにしろ不健康なことだ。そう考えて、私はいつも笑ってごまかすことにしている。

 温度が安定するからとの理由で、部屋の中央に置かれたベッドを、無理を言って窓際に移動したのは梅の頃のことだった。今、窓からは庭の木蓮がよく見える。妻が餌をやるせいか、この木には年中鳥が飛来する。なかでもよくやってくるのが百舌鳥だった。入院していた病室の窓からはビルの突き刺さった空しか見えなかった。それでも今より元気だったのは、同じ部屋に入院していたオカマの患者が陽気だったからかもしれない。いつでも化粧と身だしなみを欠かさずにいる彼、いや彼女を見ていると、その生への執着がこちらへも伝播するようで、一日は短く感じられた。いつだか、妻が主治医のところへ行った折に彼女を見舞うと、行ってもいない店のツケを払えと言われたと、帰ってきて笑っていた。そんなに元気だった彼女も、それからじきに息を引き取ったと聞いた。
 急に退院の許可がおりたと聞いた時、私はそれが快方を意味するものではないと察した。よかったと言って明るい表情を見せる妻に合わせて、私も、やれやれ、と苦笑いして見せた。そうだ、あの時だ。精算を済ませる妻を待つ間、表のベンチで、とうに死んだ息子の笑い声を聞いた。それは百舌鳥の鳴き声だと、隣に腰掛けた人に教えられたが、私はこの時、自分の暇(いとま)の時期を知ったのだった。あれから半年が過ぎ、私は息子の夢を見続けている。
 遅くに出来た息子は成長が遅かった。五歳児にしてはずいぶんとちいさい体が、心臓の弱さと生命力の薄弱さを物語っている。そのくせ好奇心や笑い声は盛んで、野鳥にはことのほか興味を示した。夢の中でも、私はいつも息子に質問攻めにされていた。
 「モズってどんな鳥、」
 「いろんな鳴き声で鳴くんだよ」
 「どんな鳴き声、」
 「キチキチ、キュンキュン、ギギギギ、ヤイサケコウテモテコイ」
 笑い声が庭に響く。
 「他の鳥の真似もするんだよ。だから百舌鳥って書くんだよ」
 「どうして真似するの、」
 「仲間の声と聞き間違えてやってきた他の鳥を捕まえるんだ。百舌鳥は肉食だからね」
 「モズは悪いやつなの、」
 「いいや、そんなことないよ。奥さんにも子供達にもたくさん食べさせてあげたいだけなんだよ。百舌鳥はね、子供が巣立ってからも心配して辺りを飛んでるんだ。上手く飛べないと、一緒に練習してあげるんだよ。強くて勇ましくて、優しい鳥なんだよ」
 時折、庭の百舌鳥の鳴き声が夢の中へも聴こえてきて、私は息子とのしばしの別れを惜しむ。明晰夢というのだそうだ。夢の中の私は、これは夢であると自覚している。だから、最後の質問には「宿題だね」と言って、また次の逢瀬につなぐ。こう言って終いにしてしまわねば、もう会えないのではないかと焦るのだ。のどが渇くのはそのせいか、とも思う。

 ……そうなの、ふぅん、物知りね。あれはなあに。へぇ、何でもよく知ってるのね。あら、行っちゃった。
 「香奈かい、」
 午後のお茶を飲んでいると、窓の向こうから声が聞こえた。やがて、戸が開き、香奈が顔を出した。
 「おじさん、はい、ご所望の本」
 礼を言って受け取り、財布から代金を出そうと上体を起こすと、高くなった陽が射して目が眩む。しばらく目を瞑り、瞼に残る緑の光を目で追う。陽が射す方のカーテンを閉める音がする。
 「そういえば、今し方、誰かと一緒だったのかい、」
 「男の子。近所の子でしょ。双眼鏡持って庭にいたの」
 この辺りに子供などいただろうか。
 「何をしゃべってたんだい、」
 「学級新聞で野鳥のことを書くんだって。いろいろ教わっちゃった」
 学級新聞というのならおそらく小学生なのだろう。一瞬でも息子が脳裏を過ったことに苦笑する。
 「子供っていったって、庭に勝手に入られちゃ不用心だわ。気をつけてね、おじさん」
 「入っちゃだめだ、なんて言っちゃいないだろうな」
 かぶりを振る香奈は、一瞬じっとこちらを見、何か言いたげな様子だったが、そのまま部屋を辞した。

 あくる日の午後、幾分体調がよかったので、起き上がって自分で窓を開けた。庭には妻が手入れしていている花壇と、木蓮や梅の木が見える。どこからか散りあぐねた桜の花びらが舞い降りてきて、短い春の盛りの終わりを告げる。終焉を思わせるものに心を奪われると、とたんに身体がだるくなるからいけない。気を取り直し、昨日姪が持ってきてくれた本を開いた。その時だった。
 「ねえねえ」
 不意に声をかけられ、それが妻のものではないと分った瞬間、ぎょっとして顔をあげる。
 「ねえねえ」
 声は庭からだった。
 再び起き上がり、窓から顔を出すと、そこには少年が一人佇んでいた。
 「きみ、」
 その後が続かず、しばしの沈黙が流れる。
 少年はいたずらそうな目でにこにこしながらこちらを見ている。
 「ねえ、あの木なんていう木、」
 たじろぎながら、ああ、あれは木蓮だよ、と答える。すると、彼は窓の桟に腰掛ける。もの怖じしない子供らしい。
 「ここには鳥がいっぱい来るね」
 「ああ、そうだよ」
 鳥が十羽もくれば死人が出るなどという迷信があったなぁ。
 「ちがうよ、餌をやるから来るんだよ」
 「え、」
 少年は、小さな双眼鏡を覗いている。
 「ねえ、木蓮の木に鳥が来てるよ。かわいい顔してる」
 振り向いた少年は双眼鏡をこちらに差し出す。覗いてみろということか。受け取って、木蓮の方を見ると、高い枝に百舌鳥がいた。
 「あれは百舌鳥だな」
 思わずつぶやくと、少年は小さく飛び上がった。
 「あれが百舌鳥かぁ」
 「あれはオスだよ」
 「なんで分かるの、」
 「オスは目のまわりに黒い帯があって、背中は灰色、黒い翼の途中に白い斑点があるんだ。メスは全体的に茶色っぽくて、波のような模様が入ってるんだよ」
 「へえ」
 そう言って少年は立ち上がり、木蓮の木まで歩いてゆく。私も、と思い、カーディガンを羽織り、つっかけに足を伸ばした時だった。
 「あなた、何してるんです、」
 妻だった。部屋のドアから訝し気な顔を覗かせている。
 「だめですよ、体に障りますよ」
 たしなめられて、つっかけを元に戻す。妻は午後の薬を盆にのせ、ベッドの脇へ置いた。
 「いや、あの子がさ、」
 「あの子って誰です、」
 紹介しようと木蓮の方へ目をやると、そこにはもう誰もいなかった。いつの間にか帰ってしまったようだ。
 「今、そこに小学生くらいの小さい男の子がいたんだよ。香奈が言ってた子だと思うんだが」
 いよいよ困ったといった顔で妻はこちらを見る。
 「寝ぼけてらしたんでしょ。何か声がすると思ってきてみたら」
 「だからその子と話してたんだって」
 「あなたの声しか聞こえませんでしたよ。それに、この辺にそんな小さな子供いませんよ」
 首を捻りながら薬を飲みベッドに横になると、妻は納得したように頷いて出ていった。読みさしの本の頁が風で揺れている。窓を閉めようと再び起き上がり、ふとみると足下に双眼鏡が転がっていた。

 再びあの少年が顔を見せたのは、それから幾日も経たないうちだった。
 コンコンとドアを叩く音がして午睡から目覚める。すでに陽は西に傾いている。
 「これだろう、忘れ物」
 双眼鏡を手渡すと、頭をぺこりと下げた。
 「ありがと」
 「今日は何か来てるかい、」
 「うん。さっきメジロがいた。オレンジ食べてたよ」
 「そうか、メジロか」
 「百舌鳥もいたよ。今日はメスが近くに来てた。こないだのオスと結婚するね。オスの縄張りに入ってきて、羽を震わせるんだよ。そうするとオスは餌をとってきて、メスにあげるんだよ。卵が生まれて十五日でヒナがかえって、また十五日たつと巣立つんだよ。すると今度はカッコウの子供も育てるんだよ」
 「よく知ってるね。詳しいんだね」
 少年は照れくさそうな顔をする。
 「おじいちゃんから教わったんだ」
 「おじいちゃんと一緒に住んでるの、」
 「おじいちゃんとおばあちゃんと」
 「どこに住んでるんだい、」
 「すぐ近く。いつもこの辺で遊んでる」
 近くに子供などいないと妻が言っていたばかりだ。ましてや両親のいない子供など。
 「でもね、もうここへは来ちゃだめだっておじいちゃんから怒られた」
 「どうして」
 「まだ早いからって」
 少年はそれだけ言うと、双眼鏡を手に取り背を向けた。私は急に皮膚が粟立つのを感じた。
 「ほら、見て。オスとメスが一緒にいる!」
 ほらほら、とはしゃいでいる少年がぼやけてみえる。
 迎えにきたんじゃないのかい。
 「僕、百舌鳥みたいになるんだ」
 「百舌鳥みたいに、」
 「だって、教えてくれたじゃない。百舌鳥は強くて勇ましくて優しいんでしょ」
 もうここへは来てくれないのかい。
 その一言が出てこず、私は強く目を閉じた。
 「ずっと先のいつか、また来るよ、お父さん」
 そう聞こえた気がして目を開けると、少年の姿はもうなかった。

 「あなた、窓閉めてくださいな。まだ風が冷たいですからね」
 背中で妻の声を聞く。
 「なぁ、まだ当分お迎えは来ないそうだよ」
 一瞬の間をおいて、それはよござんした、と妻がけらけら笑う。
 「あの子がそう言いに来た」
 息を飲む気配ののち、妻は言った。
 「元気そうでしたか」
 私は、ああとっても、と答えた。
 振り向くと、妻はにっこりと微笑んで頷いた。
 木蓮からキチキチキチと声がする。    

 
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