air BE-PALスペシャルコンテンツ「虹の幻灯譜」
第16話

弓張り月と打ち上げ花火

中元彩紀子

 昔、打ち上げ花火は好きになれない、と言った女がいた。 
  「なんで、よりによってこんな時期にやるのかねぇ」
  そう言って、茶箪笥の抽き出しからイヤホンを取り出して、テレビに差し込み、好きでもない娯楽番組を見ていた。まるでちゃぶ台とセットの置き物みたいにじっとブラウン管を覗きながら、灰鼠色のシャツの裾を意味もなく指で揉んでいた。女が咳き込むと、蚊取り線香の煙りがゆらりと揺れた。表では花火大会を知らせる合図砲が鳴り響き、家のガラスが細かく震動した。
  「おおいやだ」
  眉をしかめ、イヤホンの入っていない方の耳をふさぐ。イヤホンからは無数の羽虫のようなさざめきが漏れ聞こえていた。
  花火の季節になると思い出す。灰鼠色とテレビと、花火の音。そして蚊取り線香の匂い。俺の夏はいつも、この記憶とともに始まる。

 療養所の職員寮は、夏になると庭をドクダミが覆いつくす。白い十字架が庭一面に咲いて、こちらをじっと見ている。俺はこの陰気な花があまり好きじゃない。だから、早朝の涼しい時間になると、こうしてシャベルやらスコップやらで根を残さぬように除去する。こいつの繁殖力というのは驚くほど強く、その地味な外見からは想像できないほど図々しい。その生命力をここの連中に分けてやれよ。そんなことを時々思う。
  体を壊して仕事を追われ、知人のつてで紹介された仕事が、ここの管理人の仕事だった。あと数年で定年という時期の、思わぬ転職だったが、それまでの、工場で金属の音ばかり聞いて過ごした毎日を思えば、山のなかでのんびり暮らすのも少し早めの隠居生活と思えば気も楽だ。そう思ってやってきたはいいが、一年もすると、飽きがくる。今では、療養所のなかでも比較的元気な子供や、寮に入りたての職員をからかったり、時々街へ下りて飲み歩くくらいが楽しみだった。
  「おじさんさ、そのオバケ、見たの、」
  「見たさ。夜中にな、そのキツネはあっちの森から提灯ぶら下げてゆっくり歩いて来たんだよ。気づかれちゃいけねえってんで、トイレの窓の縁から、こうやって目だけ出して見てたんだ。そしたら、キツネがくるりと振り向いて、」
  「で、で、どうしたの、」
  ここで思いきり大きな声で叫ぶ。
  「油揚げはどうした!…って言いながら走ってきたのさ」
  子供らはひいっと声を上げて身を縮める。
  「びっくらこいて逃げたさ。部屋に戻る時にうっかり転んじまって、だからこのケガはそん時のやつだ」
  そう言って、右足の膝を撫でてみせれば、子供らは納得したように頷くのだ。
  「だからな、昼間は目を瞑っててやるが、夜中に抜け出したりしたらダメだぞ」
  神妙に頷く彼らだった。夜中に抜け出す子供が減った、と看護士長にはありがたがられたが、まあ、あまりいい趣味とはいえない。ついこないだも、寮に入りたての女の子をからかったばかりだ。知らない女が管理人だと言って寮の規則と幻の池の話を教えていった、と言っていた。大方寮の誰かと間違えたんだろうが、そいつはカエルの化けもんだ、と言ってやると、真面目な顔をして考えこんでいた。
  実際、この土地には昔からいろんな怪しい話があって、俺はそれらをたまに行くスナックのママさんから仕入れている。
  「森の途中に、金比羅さんがあるでしょうに。あすこにおっきなカエルが住んでるんだよ。一匹だけで、もう何十年も住んでるらしいんだけどね、あれは水神さんの使いなんだって話だよ。大水がきても、ここいらじゃおっきな被害がないでしょ。それは、雨の間、ずっとゲコゲコ啼いて水神さんにお願いしてくれてるからなんだってさ」
  他にも、彼女から聞く怪しい話は枚挙に暇がなかった。
  死の苦しみを食う蛇様に、幻の池に住む神様、人に化ける悪戯好きのカエル。土着の人間であるママさんはそれらを親や祖父母から聞いて育ったのだという。故郷も家族も、語りつがれる何かを持たない俺には、彼女の話は耳にこそばゆいものだった。遠い昔に、まどろみのなかで聞いた母親の寝物語に似ていた。

  夕涼みを兼ねて散歩に出たついでに店に顔出す。扉をあけると、ママさんが、カラオケの音に負けじと大声を出していた。
  「あたしはさ、クレオパトラとか楊貴妃とはいわない。でも、せめてどっかの幸せな華族様の生まれ変わりであってほしかったよねえ」
  俺に気づくと、いらっしゃいと言いながら手招きをする。
  「この人、吉田さん。森の療養所があるでしょ、そこの寮の管理人さん」
  カウンターの向こうで小さく頭を下げたのは、白いサマーセーターを着た見慣れない顔の女だった。。二十歳過ぎくらいだろうか。
  「彼女、百合ちゃんっていうの。こないだっから来てくれてんだけどさ、この子前世が見えるんだって。吉田さんもみてもらったら」
  「いいよ、俺は」
  適当にあしらったが、その百合という女はじっと俺の顔を見ていた。吸い込まれそうな目、というのはこういうのを言うんだろう。俺は、たじろいでしまい、慌てて水割りを頼んだ。
  土曜日は早い時間から店を開けている。夕刻の時点ですでに出来上がった客が、がなり声で演歌を歌っていた。二曲三曲と続いたところでようやく静かになった。
  「今日は空いてるんだね」
  「だって、夏祭りだもの。みんなそっちに出払っちゃってるわよ。夜は花火大会だしね」
  「そうか、花火大会か」
  「吉田さん、行かないの、」
  「俺は花火はあんまり好きじゃねえんだ」
  「あら、どうしてよ。きれいじゃない」
  「どうしてって聞かれてもなぁ。人ごみが嫌なんだよな」
  「それは花火が嫌なんじゃなくて、人ごみが嫌なんでしょ」
  「まぁな」
  ママは「ふぅん」と言ったきり、別の客と話し始めた。花火大会に毎年何千万も寄付しているという町の名士のうわさ話に興じている。
  「お祭り、行かないんですか、」
  百合がつまみを出しながら話しかける。
  「あんたは行かないのかい、」
  「お店があるもの」
  話が続かず、そのせいか酒ばかりになる。それでも間がもたず、つい興味もないのに、先の話題にふり戻す。
  「ママさんの前世ってなんなんだい、」
  すると百合は顔を寄せてきて、こう言った。
  「前世が見えるっていうのはうそ」
  「うそなのか」
  「ママさんて、そういう怪しい話、好きでしょ。だから盛り上がってるときに、つい言っちゃったの。ママは江戸時代の呉服屋の娘だって。それで、好きあう人がいたのに、その人は濡れ衣で死罪になって、結局金持ちのおっさんのところに嫁いだんだけど、どうしても死んだ恋人が忘れられなくて自害しちゃった…みたいな話。そしたらびっくりしちゃって。ママ、お腹に生まれつきのアザがあるんですって。あたし切腹だなんて言ってないのに。それで信じちゃったの」
  なるほど、そういうことか。ママは、といえば、その自分の前世について客とまた盛り上がっていた。
  「まんざらでもなさそうだなぁ」
  「そう。だから黙っててね」と、百合が笑う。
  どのくらい経ったろうか。二、三人の客が入ってきて、再び賑やかになり、そろそろ帰ろうかと腰を上げた時だった。百合がお腹を抱えて、突然うずくまった。どうしたのか、と心配して声をかけるママさんや他の客らに、百合は小さな声で「すいません、昨日からちょっと調子が悪くって…」とすまなそうな顔を見せた。
  「吉田さん、帰るんなら、百合ちゃん送ってってくれない、」
  ママは返事も聞かず、タクシー会社に電話している。
 

 タクシーが駅の方へ進むに連れて、辺りに人が増えてきた。夜店の明かりが軒を列ねている。
  「ここでいいです」
  赤信号で停車中に、百合は運転手にそう告げた。お金を素早く払うと、ほら急いで青になっちゃう、と言って俺の手を引っぱった。
  「この近くなのか、」
  首を振って、百合はにやりと笑う。
  「お腹は、」
  「空いてます」
  「そうじゃなくて、あんたお腹が痛かったんだろう、」
  訝しむ俺を見て、百合は「あれ、うそ」と言った。
  「ごめんなさい、お祭りに行きたくなっちゃったのよ」
  呆れる俺にくるりと背を向けて、百合は夜店の屋台へ歩いて行く。辺りはかなり混雑していた。山車が近づき、囃子が鳴り響く。人ごみの向こうでしゃがんだのか、百合の姿が突然視界から消えた。やっぱり体調が悪いんじゃないか、と思い、慌てて追い掛けると、百合はヨーヨー釣りの前でしゃがんでいただけだった。
  それから、俺は百合に引っぱられるようにして夜店を回り、イカ焼きだの綿菓子だの、リンゴ飴につきあった。金は百合が出した。女に金を出させるのは気分がいいものではない、と財布を出しても、百合は頑なにそれを拒んだ。
  「まるで、母親に連れられたガキみたいじゃねえか」そう言っても、「だったら、今日払った分、お店で使って」ときかない。
  リンゴ飴を食べながら、百合は雑踏から離れ、橋の方へ向かった。上空では花火が始まるのだろう、合図砲が鳴り始めた。
  不意に、遠い夏の記憶が脳裏に浮かんだ。蚊取り線香の匂い、灰鼠色のシャツ、イヤホンから漏れ聞こえるテレビの音…。
  欄干にもたれかかりながら、百合は黙って空を見上げている。夜空には弓張り月が浮かんでいた。
  「吉田さん、花火、嫌いって言ってましたよね」
  「ああ、それに人ごみも好きじゃない」
  「どうして、」
  どうして、か。女はいつも理由を求めるんだなぁ、と苦笑する。
  「昔、花火嫌いの女と暮らしてたからかもな」
  「奥さんのこと、それとも恋人、娘さん、」
  「いや、…おふくろだよ」
  おふくろ。ずいぶん長いこと口にしていない言葉だ。
  おふくろは、とうに死んだ。原爆のせいだ、と親戚の誰かが言っていた。終戦後、何十年も経っての被曝死だった。身内を何人も失い、後遺症の不安に戦きながら子を産み、死ぬまで夏を嫌っていた。こと打ち上げ花火は嫌がった。
  「戦争と、花火嫌いとどう関係があるの、」
  「遠くの山の向こうから、何機もの爆撃機が編隊を組んでゆっくりと近づいてくるんだ。壕に隠れてしばらくすると、砲弾の音が破裂する。いつ止むか、どこに落ちるかも分からないなかで聞き続けるその音が、打ち上げ花火の音と重なるんだよ。ひゅるひゅるいって、ドカンと弾けるだろう。おふくろの頭んなかじゃ、その瞬間、人が大勢死んでしまうんだな。その最たるもんが原爆だ」
  子供の遊ぶロケット花火ですら嫌がるおふくろだったから、小さな夏祭りでさえ、俺は一緒に行ったことはない。
  毎夏、洗濯機も冷蔵庫も、死ぬ少し前にはエアコンまで揃った家のなかで、おふくろは空襲を恐れながらテレビを見ていた。

 「あたしも花火、嫌いなの」
  「え、」
  百合は欄干に上体を預けたままで言う。
  「だから、同じだなぁ、と思ってここに連れてきたのよ。一緒に来れば、怖くないかと思って」
  「あんたはどうして花火が怖いんだ、」
  百合はそれには答えない。
  何か言おうと口を開きかけた時だった。ひよろひょろひょろーという音と、破裂音が幾つも響いた。あと数分で花火大会が始まる。人々が橋の上に集まってきた。眼下の河原の向こうでは、花火師たちが忙しく立ち動いている。
  「吉田さん、あなたは忘れている」
  不意に百合が口を開いた。
  「あなたはお母さんと一緒に花火を見てるわよ」
  「え、」
  何を言っているんだ、この女は。
  「夏、縁側でお母さんと線香花火をしたでしょう」
  「線香花火、」
  百合はこちらを見ずに言う。
  「そう、線香花火。今みたいに上等なやつじゃなくて、すぐに玉が落ちちゃうやつ。どっちが長く落とさないでいられるか、お母さんと競争した。お母さんは、いつもわざと負けた」
  「何を言っている」
  「匂いを覚えてないの、」
  匂い…。蚊取り線香。
  「あれは蚊取り線香の匂いじゃなくて、火薬の匂いよ」
 
  部屋の明かりを消し、おふくろが網戸を開ける。外は暗く、弓張り月がうっすらと庭を照らしているだけだ。蚊が入るから、とおふくろは縁側で蚊取り線香を焚いた。腰掛けた足先は地面に届かず、ぶらぶらしている。細いこよりの先にマッチで火をつけると、それはバチバチと音を立てて火花を散らした。その先で、ほんの数秒だが、小菊のような花が咲いた。バケツに火球が落ちる音。がっかりする俺の声。
  そんな光景が瞼に広がる。記憶なのか想像なのかは分からない。だが、俺は戸惑いながらも、その匂いをはっきりと感じていた。
  「…作り話だろう。だいたい、あんたが知っているわけがない」
  百合はじっとこちらを見ている。最初に見た時の、あの印象的な目で。
  「あたしが、お母さんの生まれ変わりだって言ったら、」
  「馬鹿を言え。だいたい、前世云々はうそだって言ってたじゃないか」
  「それもうそだとしたら、」
  「……」
  言葉の出ない俺に堪えきれなくなった様子で、百合はくすっと笑った。
  あんたも人が悪い、とため息をついた瞬間、最初の花火が打ち上がった。赤い大きな花火だ。人々の歓声が上がる。ドーンという大きな音が続く。そしてまた、色鮮やかな花火が幾つも連続して頭上で弾ける。それを追うように轟く音。それは爆撃の音などではなく、美しい花火のこだまだった。きれいじゃねえか、おふくろ。
  「すごいすごい! …きれいねぇ」
  百合が歓声を上げる。ふと気になって、さっき百合が答えなかったことを尋ねる。
  「なあ、あんたはなんで打ち上げ花火が怖かったんだ、」
 

 俺たちの隣に、親子がいた。母親の腕に抱え上げられた小さな子供は、しきりに空を指差して何か言っている。
  「あれはどうして落っこちないの、」
  「お月さまだからよ」
  「どうして落ちないの」
  「お月さまは、あそこでずっと見守ってるの」
  そしてまた、空一面にいくつもの花火が咲き、歓声が上がる。
 
  百合はチラリと俺を見てから答えた。
  「空襲を思い出すから」
  その時、ひときわ大きな花火が打ち上がった。大きな轟きがそれに続く。
  「また気味の悪いことを言う」
  すると、百合はにっこりと笑って言うのだった。
  「知らないの? この辺りはね、不思議なことだらけなのよ」
  打ち上がる花火の向こうで、弓張り月が小さく揺れたように見えた。

 
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