第21話
かぼちゃと黄色いワンピース
中元彩紀子 |
 |
日曜日のデパートなど混雑していて気がすすまなかった。来週、娘の真希子が孫娘を連れて遊びにくるらしい。誕生日、入学祝い、節句、何かにつけて孫への贈り物をしたがる妻に連れられて、ひさしぶりに街へ出る。せんに勉強机を作ってやろうと申し出たが、そのときヘソを曲げてから私はそのての買い物には関心を示さずにいた。
「おとうさん、昔ながらのはもう流行らないんですってよ」
そんなものか、と思ってデパートの家具売り場を冷やかしに行くと、ご親切にも筆置きからライトから本立てまでが作りつけられた不粋な机がずらりと並んでいた。傘に兎だかクマだかの細工が施されたライトに照らされて、天板が嘘くさい艶を放っている。
「今日びの子供はこういうのがいいのか」
「そりゃそうですよ」
こんなものは長くは使えまい、そう思ったがライトの傘の兎ににっこりされて言う気が失せる。
デパートはそれ以来のことだ。
結婚し、実家の材木屋から出、家具屋を営むようになって、もうかれこれ四十年になろうとする今年、妻と相談して店は閉めることにした。手先が器用でも時代においてきぼりをくった。倉庫の整理を終えたら、あとは知人から頼まれる注文家具をのんびり作って余生を送ろうと思っている。近くに住んでいた一人娘が去年、夫の転勤に従って他県に嫁いでからというもの、夫婦ふたりだけの生活になった。日々の活計に追い立てられることもなく、かといって贅沢な趣味を持つわけでもない老夫婦の毎日はただ淡々と過ぎてゆく。女はよかろう。友達とくっちゃべっていれば時間なんてものはあっという間に経つ。買い物もその手段なのかもしれぬ。自分のものではない、誰かのための買い物。これも残り時間の過ごし方のひとつだ。
あれこれ品定めする妻にしばらくつきあっていたが、年中通っているおかげで顔見知りとなったのであろう店員と妻が話し込みはじめると、私はすっかり退屈しはじめてしまった。うろうろしているうちに、ガラス張りの一角に突き当たった。『ゆうやけ絵画展』と毛筆で記された衝立てが目に入る。どこかの絵画教室の発表会だろう。暇をもてあましている身だ。ここで時間を潰そうと、なかに入ると受け付けの女性に呼び止められた。
「ぜひ御記帳を」
記帳を終え、展示場を見回した。散らばっていた客は自分を含めて四人が白髪と半白髪の男、女性はそのうちの誰かのつれあいだろう。皆、静かに飾られた絵を見ている。
絵に興味があるわけではない。休日のデパートの喧噪に辟易し、昼飯までの時間を静かに過ごそうと避難してきた隠居たち、といった風情だった。
そしてその油絵は唐突に現れた。
いや、それはもちろん最初からそこにあったのだろう。しかし、誰かにうしろから見られているようでふと振り返った私の目に、その絵は飛び込んできた。
落ち葉の上にずんぐりとしたかぼちゃがひとつ。絵の左上に丸い膝小僧とちいさな手が描かれている。子供がしゃがんでいるのだろう。左手をつるに絡ませ、右手でかぼちゃを撫でている。じっと見ていると、突然なぜか黄色いフリルのついたワンピースが思い浮かんだ。周囲の風景がぐらりとゆらぐ。歪んだ景色のなかで、唯一視界がとらえたのは、その絵の題名と作者の札だった。
『─裏庭のかぼちゃ─飯岡小枝子』
意識のどこか遠くの方から、平ちゃん、という声を聞いた気がした。
私を呼ぶ声がする。裏庭の林の方からその声が近づいてくる。やがて呼ぶ声が途切れたと思ったら、近くで枯れ枝がパキッと乾いた音を立てた。見つかる! 幼い私は見をこごめる。
「ほら、平ちゃんやっぱりここだ」
私はその瞬間心から安堵して、その人の胸に飛び込んだ。その人を私は「小枝子さん」と呼んでいる。母の古いセーターを編み直した彼女のチョッキはかすかに白檀の香りがした。この場所は小枝子さんに見つけてほしくて隠れているような場所だった。
「平ちゃん、葉っぱの子みたいね。ほら、お尻こんなになっちゃった」
小枝子さんが尻や肩についた枯れ葉をはらう。はらいながらなぜか「ごめんね、平ちゃん」何度もそう言った。
「おとうさんっ」
目の前に妻の顔がある。眉を八の字にしてこちらをのぞきこんでいた。私はどこかの部屋の長椅子に寝かされているらしい。
「いやだ、救急車呼ぼうって言ってたんですよ」
重い頭を振る。なんともなさそうだ。
「どのくらいだ、」
「何がです、」
「だからどのくらい寝てたんだ、」
妻が傍らに立つ女性を見上げる。
「いえ、寝てらしたというか、何かおっしゃっていたようで…。足元がふらついていらしたので、とりあえずここで横になって頂いてたんです」
受け付けにいた女性だった。
「ちょっと目を話した隙にいなくなっちゃったと思ったら、アナウンスされるんだもの。びっくりしましたよ。…ほんとにお世話かけまして」
妻が立ち上がって女性に頭を下げている。
そのままその場を辞して時計を見ると、展示場に入ってからそう経ってはいない。
「おまえ、まだ買い物済んでないんだろう、」
「もうそんな気分じゃありませんよ。近いうち病院行って診てもらって下さいね」
「もう大丈夫だよ、何をぷりぷりしてんだ」
妻はそれには答えずに、タクシーで帰って蕎麦でもとりましょう、と言った。
タクシーの窓から見える景色は、もうすっかり秋めいており街路の銀杏が黄色く色づいていた。
「おまえ、黄色いワンピースなんか着たことあったか、」
「黄色いワンピース? ありませんよ。なんですか突然」
おおかたどこかのスナックの女性を思い起こしているとでも思っているのだろう、ぶっきらぼうな言い方である。「…じゃあ真希子かなぁ」とひとりごちる。
「真希子は黄色は着ませんよ。あなたも黄色は嫌いでしたでしょうに」
「そんなこと言ったか、」
「言いましたよ。寂しい色だって。で、ところで誰です、小枝子さんって」
私が育った家の裏庭のゴミ捨て場には自然と腐葉土が出来ていた。元々そこはゴミを捨てるわけではなく、落ち葉や枯れ枝、勝手から出た野菜屑などを捨てる場所だった。家業の材木店の他に、農作業もこなす家だったからだろう。祖父母の代から両親へ代移りをして以来、農地の大半は他所に貸していたらしく、横には必要のなくなった腐葉土の高い土盛りがそのままにしてあった。ちょうど子供が隠れるにはうってつけのへこみが出来ていた。兄たちが防空壕だと言って遊んでいた場所だ。彼らは夏になると、いつもここからミミズを探し出しては、川へ釣りに行った。私は夕方になると、裏庭で雑事などをする小枝子さんの周囲を、何をするでもなくただウロウロとし、顔を見上げたり口笛を吹いたりする。彼女は、作業の手を休めるでもなくクスっとひとつ笑ってから、「あれ、岡田材木店の末の坊ちゃんはどこへ隠れてしまわれたかねぇ」と独り言を言う。それが夕方のかくれんぼの合図だった。小さく病弱だったゆえに兄たちと一緒に川へ行くのを禁止されていた私を慮ってのことだろう。小枝子さんは幼い私とよく遊んでくれた。
彼女は住み込みのお手伝いの女性だった。家業が忙しく子供をかまえない負い目もあって雇っていたのだろう。母屋と倉の間に建てられた質素な平屋が彼女の住まいだった。年は二十歳かその辺りだったか。うりざね顔に奥二重の目。部屋に遊びに行くと、よく絵を描いてくれ、それはとても上手だった。両親からしてみたら、あまり外で遊べないうえにかまってやれないということもあってか、遊び相手としてもちょうどいいということだったのだろう。
彼女はいつから家にいたろうか。そしていついなくなったのか。
「あなたのおうちに家政婦さんがいたなんて初耳だわ」
蕎麦を食べ終え、妻は茶をすすっている。
「いや、俺も今思い出したばかりだ。学校に上がる前のほんのいっときだったからな」
妻はにやり笑う。
「長椅子にひっくり返ってぼそぼそ何かしゃべってると思えば、女の人の名前なんだもの。あたしはてっきりどっかのいい人かと思いましたよ」
「馬鹿をいうな。作者の名前が同じだったんで、夢に見たんだろ。寝ぼけただけだ」
適当にお茶を濁したが、あの絵には何かある。そう思えてならなかった。
「なんですか、うすぼんやりして」
「いや、なんでもない」
「とにかく明日、必ず病院行ってくださいよ」
「ああ」
「そう言っていつも行かないんだから」
そう言い、妻はよっこらしょ、と立ち上がると台所へと消えた。
あのかぼちゃの絵を描いたのはあの小枝子さんなのだろうか。だとするともう相当なばあさんだ。頭では分っていても瞼に浮かぶのは、あのうりざね顔でにっこりと笑った小枝子さんだ。
翌日、ぼんやりとした気分のまま、私の足はデパートへ向いていた。
「あら…もうおかげんはよろしいんですか」
昨日と同じ女性が私の姿を認め、腰を浮かす。
「お世話かけましたね」
彼女は何か言いたげな面持ちでこちらを見やり、だけど開きかけた口は再び閉じた。
件の絵の前に立つ。やはりそうだ。飯岡小枝子。このかぼちゃの絵を見たときから妙な具合になったのだ。記憶のどこか長い間封印されていたものが出してくれと身をよじっているようなあの感覚。そしてちらつく黄色のワンピース。
「すまないけどね、あの絵を描いた方はどういう方かね」
受け付けの女性は私が振り返る前からすでにこちらを見ていたようだった。
彼女は立ち上がり、私の前に来て言った。
「これは私の祖母の絵なんです」
「そう、お祖母さんのかい。同じ小枝子さんという方を昔知っていたものだから」
すると彼女は目を輝かせ、「やっぱり! 材木屋さんの平ちゃん」と言った。私は驚いて、口を開けたまま彼女の顔を見つめる。
「すいません、帳面のお名前を拝見したときからそうじゃないかと思ってたんです」
「ええ、あ、じゃあやっぱりあの小枝子さんの絵なのか。驚いたね」
「私もです。なんだか不思議です」
「で、小枝子さんはお元気なのかな」
「七年前に他界しました」
そうだったか。私は少し落胆した。
「このかぼちゃの絵はずっと若い頃に描いたものらしくて、最近出てきたんですよ。私、せんに祖母からよく聞いてたんです」
「何をかね、」
「若い頃にね、少しの間だけ岡田材木店というところで使用人をしていたって。そこの末息子の平三さんとよく裏庭で遊んだって言ってました」
彼女の話によると、どうやら小枝子さんがうちで働いていたのはつれあいを亡くしたばかりの頃だったようだ。十九で結婚してやがて子を宿し、それがみつきももたずに流れてしまった。そのすぐあとつれあいにも先立たれたのだという。うちの平屋に住んでいたのは再婚までのほんの一年ほどだったのだ。それならこれまで忘れていたのにもうなずける。
「きっと幼い末の坊ちゃんに、見ることのなかった自分の子供を重ねてたんでしょうね。裏庭の土盛りに隠れるのが好きで、ある日そこに黄色い花が咲いてるのを平ちゃんが教えてくれたんだ、って。葉っぱも花も深いフリルになっていて、ゴミ捨て場には似合わずそれはきれいだったんだそうです。祖母はそれを見たとき、亡くなった夫の仕業だと思ったんです。夫が私を励ましてるにちがいないって。生前にね、質屋で見つけた黄色いドレスを着た西洋人形をふたりで見たことがあるんですって。いつかこんなのが着られたらいいのに、なんて話をしたんでしょうね。祖母は黄色が大好きでした」
ああ、そうか。そうだったか。小枝子さんが発つ日の朝、彼女が着ていたのが黄色いワンピースだったのだ。袖口にささやかなフリルのついたワンピースだ。幼い私は小枝子さんが見慣れぬ恰好をしているのが不安で目にいっぱいの涙を浮かべていたにちがいない。あれは小枝子さんとの別れの日だったのだ。小枝子さんは、「ごめんね平ちゃん、どうもありがとう」そう言った。
「そうだ、かぼちゃの花はたしかに黄色かった…」
「平三さんが祖母に教えてくれたんですよ」
野菜屑にまじっていたタネから芽吹いたのだ。それを見つけた私は興奮して小枝子さんのところに走ったにちがいない。彼女はそれを見て、はっと息を飲んだことだろう。秋になって熟れたかぼちゃに私たちは喜んだ。そして同じ秋のうちに彼女は私の前からいなくなったのだった。長い間、黄色は私にとって不安と離別の色だったのだ。
「この絵に祖母は、感謝と再生を描いたんだと思うんです」
彼女はそう言った。
──少し遅くなるって、どこか寄られるんですか?──
「ああ、ちょっと知り合いの墓参りにな」
──それで、お医者さんなんですって?──
「ああ、なんでもないってよ」
──おとうさん、ほんとに病院行ったの?──
「行った行った。たまにはおまえの言うことも聞くもんだな。おかげですっきりしたよ」
──あやしいもんだわね。お夕飯までには戻ってくださいよ──
「そんなにおそくはならないよ。…今夜はかぼちゃの煮付けにしてくれ」
──はいはい、分かりました。気をつけて──
不義理を詫びるにはいささか遅すぎたけれど、小枝子さんならきっと許してくれるだろう。
淡い黄色のワンピースが孫娘に似合えばいいのだが。デパートの紙袋と地図を片手に私はバスに乗り込んだ。 |