第30話
蝶々に連れられて
中元彩紀子 |
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花屋には、私の他に客はなかった。何を選ぶでもなくただ突っ立っているだけなのを見て、店員はさっさと自分の仕事の続きに取りかかった。来たときには、彼はまだカサブランカしか手にしていなかったのに、もう大きな花束ができあがろうとしている。注文した人の好みなのか、それとも彼のセンスがいいのか、青を基調にした静かな雰囲気の美しい花束だった。彼がこちらに向きなおる前に、私はそっと通りに目をやる。さっきヒヤシンスの鉢植えを買っていった男の人が、再び店の前を通り過ぎた。ヒヤシンスは持っていなかった。花屋の店員が大きな花束を作り、男がヒヤシンスをどこぞへ届けて戻って来られるだけの時間が過ぎていた。何をお探しでしょう、そう声をかけるタイミングはとうに過ぎていた。変な客。振り向けば、きっと彼はそういう顔をしているだろう。私は、そのまま駅に向かって歩きだした。
春一番のあとの、少し湿り気を帯びた空気が髪にまとわりく。空がうっかり春を忘れて、そのまま梅雨入りしたみたいだ。そういえば、冬らしい冬もなかった。雪も降らないうえに春も来ないのでは、雪見酒も花見酒もできなくてあの人困ってるだろうな、ふとそんなことを思った自分に舌打ちをする。
別に許したわけじゃないんだから──。忠司がしつこく電話をしてくるから、仕方なく会いにいくだけなんだから。そう自分に言い聞かせながらホームへ続く階段を上る。途中、ポケットから着信の震動が伝わってきた。もううちを出てそっちに向かってる。それだけ言えばすむことなのに、私は電話に出ようとしなかった。
故郷へは今年も帰らなかった。父が十年前に他界してからは、年を経るごとに足が遠のき、なんだかんだと理由をつけて一度も帰っていない。いや、正確に言えば、墓参りや法事のために何度か訪れてはいるけれど、実家には寄らずにいつもとんぼ返りだった。電車で小一時間の距離が私には途方もなく遠い。家を出てからの年月が、あの家で過ごした年数を今年で追い抜いた。
上り電車を待つ。青いベンチに腰掛ける。目の前を二本の特急と何本もの快速が通り過ぎていった。そろそろまたポケットがうるさく震えるんじゃないか。次のに乗ろう、そう決めたとき、私の前に母娘連れが立った。手にしていたのはあの青い花束だった。
「あたしが持つ」
小学校の低学年くらいの女の子だ。母親が何かを言い、その子がくすぐったそうに笑う。そして大きな青い花束を娘が抱える。どこにでもある母娘の他愛ない光景なのだろうけれど、私はそれを知らない。
私の母は私が小学校に入った年に他界している。もともと身体の弱い人だったらしい。記憶のなかの母はいつも布団に横たわっている。もちろん、いつも臥せっていたわけではない。幼稚園から戻ると、台所で仕事をしているときもあったような気がするし、お遊技会にだって一度は来てくれた。写真が残っているからこれは確かだ。遠足には来られなかったけれど、母は遠足から戻った私の話を布団のなかで楽しそうに聞いてくれた。
私はいつでも母の布団にもぐりこんだ。母の寝巻きは蝶の柄で、その蝶を指でなぞりながら一日の話をする。母は頷きながら、ときどき感心したり笑ったりしながら、小さな咳をいくつもしていた。そして咳が止むと、寂しそうな表情で天井を見ていた。そして横顔をじっと眺める私に、きまって申し訳なさそうな笑顔を向けた。母は寂しくてとても優しい人だった。
母の腕のあたりの蝶を指でなぞる。
「のぞみはチョウチョが好きね」
「うん、好き」
「もうすぐお庭にもチョウチョが来るね」
そして母と私はモンシロチョウチョのゆーびん屋さん、と歌う。歌い終えると母は言った。
「チョウチョはねぇ、本当に郵便屋さんなのよ」
「なんで、」
「もしのぞみが会えないお友達のことをどうしてるかな、と思ったら、会わせて下さいってチョウチョにお願いしなさい」
「お手紙かかなくていいの、」
「いいの。チョウチョは見えないお手紙運んでくれるから」
「そしたら引っ越しちゃったトモくんやミカちゃんにも会えるの、」
「そう、いつかきっと会えるの」
その夜、母の寝巻きからたくさんの蝶が飛び立つ夢を見た。
私は母が他界したときのことをほとんど覚えていない。なぜなら、棺のなかの母の顔はいつも布団のなかで見せる穏やかな表情とちっとも違わなかったからだ。むしろ薄く紅をひいた母を、私はとても美しいと思った。棺の傍で膝をついて何も言わずに母を見おろす私の周囲から大人たちの啜り泣く声がして、とても不思議だった。私はただ、きれいな母に見入っていただけなのに。母が姿を持っていた最期の日のことで覚えているのはそれだけだ。そのくらい私は幼かった。
それから父とふたりだけの日々が始まった。二人だけとはいえ、近くに住む伯母が年中世話を焼きにきてくれていたので、生活に不自由はなかったのだと思う。幼い子供にとって母の不在は寂しかったにちがいないけれど、強い負の感情をともなった記憶は、あの人が来てからの方がより濃い。あの人、カズエさんがうちにやってきてからだ。
その日、学校から戻ると、玄関に知らない女の人の靴がそろえてあった。えんじ色のパンプスだった。客間から呼ぶ声がし、私はランドセルを背負ったまま、おそるおそる障子をあけた。
「のぞみ、この人はお父さんの会社の人なんだ。ちゃんと挨拶しなさい」
こんにちは、のぞみです。最後まで言い終わらないうちにその人は、のぞみちゃんパパ似なのねっ、と言った。大きな口だった。うちには「パパ」なんて呼ぶ習慣はなかったから、私は一瞬、誰のことを言ってるのか分からなかった。そして、その大きな口は、さらに続けた。
「私、カズエっていうの。これから仲良く暮らしましょうね」
大人の女の人といえば学校の先生か伯母くらいしか身近にいなかったせいか、それとも彼女の口が大きすぎたせいか、私はとまどい曖昧に頷くしかできなかった。それを見かねてか、それとも彼女の言葉を渡りに舟とでも思ったのか父は、すごくよそいきの声で言うのだった。
「この人ね、のぞみのお母さんになってくれるんだ。明日からここで暮らすんだからちゃんと言うこと聞くんだぞ」
お母さん? 私には意味が分からず、「お母さん」という言葉で反射的に仏壇の方を見てしまった。私のお母さんならあそこにいるけど。私は父の間違いを確認するかのような顔をしていたのだろう。父は慌てて付け足した。この人のことお母さんって呼べるな? な?のぞみ。
「なんで、」
本当に不思議だったのだ。だってお父さん、お母さんならちゃんといるよ。二人もいらないよ。
「だから、お父さんとカズエさんは結婚するんだよ。だから、カズエさんはのぞみのお母さんになるんだよ。分ったね」
頭のなかから「ひゅーん」と音がした。母の顔が浮かんだ。布団のなかで毎日見ていた母の小さな唇を思い出した。目の前にいる女の人の口はその何倍もあるように見えた。怖い、と思った。そして、父のことも怖い、と思った。二人が笑っているからこそ怖かった。
「仲良くしようね、のぞみちゃん」
返事の出来ない私に、彼女はなおも続けた。
「お母さんが二人いるって思えばいいじゃない、ね。じょじょに慣れていけばいいのよ、最初はそりゃ無理に決まってるんだし」
最後の方は父に向けられた言葉だった。
「のぞみのお母さんはひとりだから!」
初めて声らしい声を出した私に、父の顔は真っ赤になった。あの人は、びっくりしたような顔をしたけれど、それは目の前でお皿が割れたときのような種類の驚きで、「あらららら」と言いながら目をぱちくりさせるだけだった。
これが私とあの人の出会いだった。
いつまでたってもお母さんと呼ばない私に、父は何か怖いものでも見るかのようなまなざしを向けた。小さくため息をついて、何日かすると書斎に呼ばれた。そして、あの人のことをお母さんと呼べ、と迫る。呼びにくいなら「ママ」でもいいから、と的外れなことを言う。私は、父がしゃべっている間じゅう、チョウチョの唄を心のなかでくり返した。そんなことが続くなかで、父は時折大きな声も出した。何が気に入らないんだ、父はそう怒鳴る。そのたびに、私は泣きながら「お母さんはお母さんしかいない」と訴えた。あるときは高圧的に迫り、別の日にはなだめすかすというやり方をくり返し、やがて父は私とあまり目を合わさなくなった。
チョウチョさん、お母さんに会わせて下さい、お願いします。春になり蝶を見かけるたびにお願いをしていたけれど、母は夢にすら出てこなかった。高学年になり、書斎に行かなくなった分だけ、父はあの人と晩酌を楽しんだ。その頃には、すでに父の手によって母の仏壇は二階の西の部屋へ追いやられていた。階下から時折聞こえる笑い声が、母の仏壇まで聞こえませんように。そう祈った。お母さんはお酒なんか飲まなかったわよね。お父さんだって弱いくせに…。雪が降れば雪見酒、春は桜で花見酒、今夜はあんたと月見酒。あの人の陽気な声がする。
本当にあの人は厚顔で、私がいつまでたっても頑であることにはちっとも頓着しなかった。自分のことを母と呼べとは一言も言わなかったけれど、「ママはのぞみちゃんにはこっちの色が似合うと思うけどねっ」とか「今日は、ママの得意料理だからねっ」と近所にも聞こえるような声でしゃべるのだ。それまでは伯母がきてくれていた保護者会にはあの人が来るようになった。そして、先生や友達の親に向かって「松永のぞみの母でございます。娘がいつもお世話になっております」と挨拶するのだった。そのたびに私は「偽者親子だから」と友人達にうそぶいた。べつに虐められたわけではないし、弟の忠司が生まれてからも、ひとり排除されたわけでもない。むしろ、変わったのは私の方だ。中学生にもなれば、人間の心の機微にも通じてくる。たまには本物の親子水入らずで過ごしたいだろうと考え、外食する日の何日かに一度は私だけ受験勉強や体調不良を理由に行かなかった。気づかいなんかではない。みじめでかわいそうな継子を演じるためだ。いじめてくれさえすれば、それを理由に被害者として堂々と訴えられるのに、あの人はそうしなかった。それがはがゆかった。かわいそうな子になることでそれを武器にしたかった。
高校三年のときだ。学校から帰るとすぐに仏壇の部屋へ行き、母と対面する。花を育てるのが好きで、そこへやってくる蝶が好きで、でも病に倒れてからはほとんど庭に出られなかった母のために、私は仏壇の花をきらしたことがない。あの人はそこへ、おやつあるよ、と告げにずかずか入ってくるような人だった。
ある日、私が学校から帰ると、彼女は「いいもの見つけちゃったの」と言って私を納戸へ呼んだ。
「ほらぁ、これ」
彼女が掴んでいたのは、蝶の柄の生地だった。
「これ、かわいいわよねぇ」
彼女の足元には、裁縫箱が置いてあった。箱のなかからいつか見た覚えのある針山がのぞいている。
「これで寝巻きでも縫おうかな、と思って」
皮膚が粟立った。今まで感じたことのない強烈な感情が胃の腑から沸き起こった。
「やめて! これ、あんたのじゃない!お母さんのだから! 触らないで!」
私がそれをひったくろうと手を伸ばした瞬間、あの人は怒鳴った。
「あんたって誰のことっ!? あんたって誰のことよ! あなたを生んだ人はもういないの。分かる? あなたの母親は私なの! 死んだ人間にいつまですがってんのよッ」
鬼のような顔だった。私は涙を流しながら、彼女の髪をつかんで納戸の壁にぶち当てた。体勢が崩れた彼女が傍にあったダンボールに手をついた拍子に、それが崩れ、中身が床に落ちた。落ちたのは母の持ち物であろう、園芸の本だった。そのなかのひとつに目がとまった。矢車草にアゲハ蝶がとまっている表紙だった。私がとっさにそれに手を伸ばした瞬間、あの人は私を突き飛ばした。私が拾いあげようとした本を手にし、じっと見つめるうちにわなわなと震え出す。
「何するのよ!」
しがみつく私をふりきり、あの人は本をつかんだまま台所に持っていくと、流しの前で本を頭の上まで持ち上げた。その直後、本は大きな音を立てて流しに叩き付けられた。それからあの人は水道の蛇口を思いきり捻り、今度は生ゴミをそのうえから捨てた。本はめちゃくちゃになった。私は何か叫んだかもしれない。それには何も答えず、ただ流しに手をついて肩で息をするあの人が恐ろしくて、玄関を飛び出した。その半年後に私は高校を卒業し、家を出た。
あんなことがあったのにもかかわらず、あの人は玄関を出る私に言った。
「お野菜とか、蜜柑とか送るからね。あと、いやなことあったら、いつでも帰ってきなさいよ」
私はね、あなたがいやで家を出るのですよ。喉まで出かかった言葉を飲み込むのに苦労した。
数年前、父の三回忌法要の席であの人に会った。帰りのバスの席でうっかりあの人の隣になってしまった。天気よくてよかったよね。そうだね。それきり口をつぐんで腕組みをし、寝たふりをする私にあの人は言った。
「お父さんが亡くなる少し前のことだけどさ、のぞみにはかわいそうなことをしたって泣いたんだよ。若かったからとかは理由になんかならないってね。オレのこと恨んでるだろうなぁって」
べつに父のことは恨んでなどいない。それに、父の言葉ならなぜもっと早く伝えないのだ。恨まれるとしたらあなたでしょう。心のなかでつぶやいた。あれからもう七年会っていない。忠司からの電話で様子は聞いていた。転んで足をケガしてから体調がかんばしくないらしい。まだ還暦を過ぎたばかりだ。死ぬこともないでしょうと言うと、忠司は「オレはねえちゃんに薬になってほしいんだよ」と懇願した。顔を見て話すだけでいいから、と。話すことなど何もない。そう思うと同時に意地の悪い考えも頭をもたげる。あのずうずうしい人が、私を傷つけたあの人が、母を侮辱したあの人がどんな風に弱っているか見てやればいい。そう思ったけれど、なんだか胸の奥がざらりとした。
重い腰をあげ、電車に乗り込む。件の母娘連れは青い花束を網棚にのせ、向かいの席に座った。あの本の表紙の矢車草も青かったな。そんなことを思い出しているうちに、やっぱり行くのはやめようかという気になってきた。もうあとふた駅で着いてしまうというそのとき、車内がちいさくざわめいた。
「あっ、ママ、チョウチョ!」
女の子が立ち上がる。お花について来ちゃったのかしらね、と母親が笑いながら窓を開けて逃がそうとしたけれど、蝶は天井あたりをひらひら舞うばかりでいっこうに外へ出ようとはしなかった。日曜日の鈍行に人は少なく、皆退屈しのぎにはちょうどいいといった面持ちだ。やがて、彼らの視線が私に集まった。私の肩にそれはとまった。払い落とすわけにもいかず困惑していると、女の子と目が合う。女の子は口に指をあてちいさな声で「しーっ」と言った。私はちいさく頷く。蝶はまだ私の肩にとまっている。寝ちゃったのかな、と女の子の声がする。寝ちゃったのかもよ、と母親が答え、私に微笑む。
このままあの駅についても飛び立たなかったら、そのまま通り過ぎてしまおう。ちょうどいい理由ができたと思ったのだが、別の車両からやってきた大柄な男が勢いよく私の近くに座った揺れで、蝶は飛び立ってしまった。駅につき、開いたドアからまるで私を誘うかのように、その蝶は出ていった。
忠司に電話をかけたが、彼はまだ用事で外にいるとのことだった。家であの人とふたりでは気詰まりだ。考えあぐねていると、彼は言う。
「もうそこまで来たんでしょ。行ってやってよ、オレもすぐ帰るからさ。それにお袋、ねえちゃんに渡したいものがあるって」
「なによ」
「知らないけどさ。でも、オレはいない方がいいんじゃないかと思うんだ」
じきに顔を出すと約束させて、電話を切った。
懐かしい門扉が見えてくる。一歩一歩近づく。はす向かいの佐藤さんちは建て替えたようだ。隣の竹下さんとこは相変わらず草がぼうぼうだ。そして家の前について門に手をかけた瞬間、私は息を飲んだ。
庭だ。母が昔たくさんの花を咲かせ、他界してからは何も植えられることのなかった庭の花壇。そこにいっぱいの花が咲いている。手前にパンジーやサクラソウ、その奥は菜の花。
(あの人が? まさか)
ゆっくり門を開けると、キーッと音がした。それといっしょに、菜の花の向こうから黒いかたまりがむっくりと立ち上がる。
「のぞみちゃん、」
あの人は小さくなっていた。
何も言えずにいる私に、彼女は照れくさそうに笑いかける。私は何を言ったろうか。そのまま家に上がり、茶の間に向かう。前を歩く彼女は何かしきりにしゃべっているけれど、耳に入ってこない。あの庭、あなたが作ったの? 声に出さずに何度も尋ねる。お茶を飲み、忠司の仕事の話だの足腰の話だのが彼女の口からよどみなく流れる。だけど気詰まりな話題を避けていれば、私たちの会話などすぐに途切れてしまう。やがて沈黙が訪れると、彼女はようやく「あのね、」と切り出した。もらって欲しいものがあるの。
箪笥のなかから取り出された紙包み。ずいぶん長いことしまわれていたらしく、かなりくたびれている。
「あんまり上手には縫えなかったんだけどさ」と、言いながら手渡されたそれを開けてみた。
「これ…」
それは、蝶の柄の寝巻きだった。
「似合うといいんだけどさ」
遠い昔にこの手に馴染んだ、あの寝巻きだ。
「なんか、ちょっと黄ばんじゃったかな。ごめんね」
この人がこれを、私のために縫った?
「早くしないと、死んだあなたのお母さんにあの世で怒られちゃうからね」
「…ずっと待ってたの?」
声がかすれた。
「うん…あ、いや」
私がうつむいていると、彼女は「よっこらしょ」と大儀そうに立ち上がり縁側に立った。
「そろそろ帰ってくると思うんだけどねえ、おそいね忠司」
そうだ庭がまだ途中だったんだよね、とひとりごちて、彼女は表に出た。
花壇の植えかえをする彼女は私に背中を向けて黙々と手を動かしている。この人は、ずっとここで生きてきたのだ。私よりずっと長く。そしてずっと待っていたのだ。私から母親と呼ばれるのを、そして私や父や忠司の帰りを。
庭も自分で作ったの。そうだよ、あんまりうまくないけどね。今度は何を植えるの。そうだね、何がいいかねぇ。
「矢車草を植えようよ、お母さん」
母は背中を向けたまま、同じところを掘っている。忠司はおそいねえ、とぶつぶつ言っているその声が少し震えていた。
ふたりで蝶が来る庭にしてちょうだいよ、そんな母の声が聞こえそうで、私は春の空を見上げた。 |