air BE-PALスペシャルコンテンツ「虹の幻灯譜」
第41話

縁日の幻

中元彩紀子

 出どころの知れない大量のヒヨコを前に、俺は困惑していた。
  園部さんは俺と大量のヒヨコをおいて行ってしまった。女と仕事を天秤にかけたところ、女に針が傾いたのだ、と彼は犬歯が欠けた間抜けな顔でしゃあしゃあと言った。「ほんの一時間ばっかし」ということだったのに、すでに二時間経っている。少し離れた先で、黄色い浴衣を着た女が怒ったような顔をして立ってこちらを見ていた。「イケてんだろ、あいつ」が、一瞬「欠けてんだろ」と聞こえ、つい口元を眺めてしまい叩かれた。
  「何見てんだよ。とにかく、一匹でも多く売れよ」
  「ヒヨコは鳥だから一羽っていうんじゃないですかね、いてっ」
  園部さんは手ぬぐいでもういっぺん俺の頭を叩き、くるり向きを変え、いそいそと女の元へ走り去ったのだった。もうみんな待ってんだから早くしてよ、と女の不機嫌な声がした。二人を追い立てるように、きらびやかな神輿がその後ろから出てゆく。

 浴衣を着た家族連れや、甚平の学生らが下駄の音を響かせて、わらわらと蠢いている。ヒヨコとたいして変わらねえなぁ、と思う。焼きイカやとうもろこしの匂いが漂ってくる。隣の綿菓子には長蛇の列。手持ち無沙汰な連中は、見るともなしに俺の店、というより俺の足元に目をやる。
  見てあれヒヨコだって。かわいいね。欲しいのか。ううん、いらない。
  並んだ顔がそう囁くのが聞こえてくるようだ。そして言うのだ。「だってどうせニワトリになっちゃうじゃん」。ご明察。おたまじゃくしはカエル、ヒヨコはニワトリ。
  それにしてもだ、綿菓子をビニール袋に入れて口を縛るときに、店の親父がてめえの息で膨らますってのはどうなんだよ、と思ったときだった。
  「珍しいね、今どき。まだヒヨコの屋台なんか残ってたんだ、」
  夫婦連れが声をかけてきた。今どきカラーでもヒヨコなんか売れないと、ついぼやいてしまう。
  「カラーヒヨコなんてよく知ってるね、俺でもうろ憶えなのにさ」
  カラーヒヨコを知らないらしい奥さんに、旦那が説明している。
  「どうっすかね、ニワトリになっちゃいますけど、これ全部メスだから卵産みますよ、」嘘っぱちだ。大方どこかの廃業した養鶏場あたりから回ってきたものだろう。用なしなのは卵を産まないオスだ。しかし、ヒヨコの雌雄の判定には専門の資格があるくらいなんだから、素人に分かるはずもない。
  旦那が黙っているのをいいことに、俺は一気呵成に攻める。「安くしますよ、これなんかどうですかね、すごく元気だし。長生きしますよマジで。ほら、マンションなんかも犬猫は禁止でも、ニワトリ飼うなとは言われてないでしょ。小さい生き物って癒されますよねぇ。そのうえ卵代はうくし、一石二鳥だコレ、ね」
  だめだった。
  てっきり選んでいるのかと思えば、旦那は一言「悪いね」と眉を下げ、ついと立ち上がり行ってしまった。うん、あんたは賢明だよ。

 夜も遅くなり、子供連れの家族がいなくなるとウチの周辺はとたんに閑散としてくる。参道の入り口付近では、金魚すくいやかき氷の店がまだ盛況らしく、女たちの嬌声が聞こえる。暇になった綿菓子の親父が残り少なくなったザラメの缶を見せてニタリと笑う。
  「にいちゃん帰ってこねえなぁ。親方に言い付けといてやろうか」
  いやぁ、そのにいちゃんが親方なんですよ、とは言えず、力なく笑い返すと、親父は同情したのか綿菓子をひとつくれた。
  箱に詰められたヒヨコを眺めていると、目の前にでかい卵焼きがのぺっと広がっているように見える。瞬きもせず、じっと見ていたせいか焦点が合わなくなる。だから、ひと気のない社の方から近づいてくる小さな影にもすぐには気づかなかった。
  卵焼きの表面に影が落ち、俺は顔を上げた。目の焦点が合うまで少し時間がかかった。
  ぽつんと立っていたのは坊主頭の少年だった。小学校低学年くらいだろうか。子供じゃ話にならないが、サクラくらいにはなるだろうと思ったとき、少年が口を開いた。
  「これ、ヒヨコだよな」
  ぶっきらぼうにそう言い、無表情で見下ろしている。
  「ああ、そうだよ。お父さんかお母さんは、」
  少年は首を振る。そしてしゃがみこんで、ヒヨコをじっと眺めている。膝小僧にかさぶたがあった。洗いざらした少し大きめのランニングに、灰色のくたびれた半ズボン。あんまり景気のいいうちの子じゃねえな、と値踏みしつつ、財布らしきものも持っていないのを確認する。さあ、これはますますお話にならない。
  「迷子にでもなったのか、」
  今度は首をぶんぶん振る。小さくても男だ。迷子になったなどとは沽券に関わるとでも言いたげだ。親も見当たらない、金もない、愛想もない。あるのはプライドだけか、と苦笑していると、しゃがんだままの少年がついと顔を上げた。
  「水色のヒヨコはいないの、」
  「え、ああ。カラーヒヨコはもうほとんど見ないねぇ」
  少年は少し肩を落としたが、すぐに「これ幾ら、」と聞いてきた。
  「え、買うの」
  「幾らかって聞いてんだ」
  生意気だ。カチンときたので倍の値段を言ってやった。
  すると少年は小さくため息をついて、急にしょぼくれた。慌てて「冗談だよ」と訂正したが、それでも彼は顔を上げない。
  「なんだよ、落ち込むなよ。そんなに欲しいのか」
  まただんまりだ。
  「あのな、ヒヨコは今はかわいいけど、すぐにニワトリになっちまうの。しかも、たぶんこれぜんぶオス。だから卵も産まない。そのうえ朝っぱらからコケコッコーって、そりゃぁうるせえぞ。こんなもん買うやつの顔が見てみたいくらいだよ、って俺が言っちゃあおしまいだけどな、はは」
  乾いた笑い声が情けなく漂う。ため息つきたいのはこっちだぜ、と煙草に火をつけるのと、少年が再び顔を上げたのは同時だった。危なく火のついた煙草をヒヨコの上に落とすところだった。
  「なんだよ、急に」
  「水色のヒヨコ、生き返らなかったんだ」
  「…へぇ、死んじまったのか」
  「母ちゃんが死んだ時、母ちゃんを埋めるなって言ったら、父ちゃんが、生き物は土に埋めればいつか生き返るって言ったんだ。でも、母ちゃんもヒヨコも生き返らない。埋めたとこから花が生えてきたって先生が言った。けど、そんなのちがう。父ちゃんも先生も、大人はみんなオレに嘘つくんだ」
  少年の口調に気圧され、俺はしばらく言葉が出なかった。林の方で寝ぼけた蝉がジージー啼いている。
  俺は「違うな」と口走っていた。「俺はおまえに嘘はつかない」。
  「ヒヨコも人間も、土に埋めたら生き返るってのは嘘だ。けど、おまえの父ちゃんが言った“いつかは生き返る”ってのは、生まれ変わるって意味だったのかもしれないぜ。おまえが埋めてやったヒヨコは、この箱のなかのどれかに生まれ変わってるかもしれない。埋めたとこから花が咲いたら、やっぱりそれも嘘だ。だけど、優しい嘘ってのもあるんだぜ、世の中には。…っていっても、まだ分からないよな、そんなこと」
  最後の方は情けなく口ごもってしまった。
  「優しい嘘ならついていいの、」
  「…いや、よかねえけどさ。けど、誰かのための嘘なら、たまにはいいんじゃねえかな」
  少年は分ったのか分からないのか「ふぅん」と言ったきりだ。隣に助けを求めようにも綿菓子の親父はイスに腰掛けてうつらうつらしている。
  「今、夏休みだろう。どっか行ったか」と、むりやり話題を変える。
  「虫捕り。でもコクワばっかりだった」
  ようやく話の接ぎ穂が見つかった。虫捕りとくれば俺の独壇場だ。
  「そこの雑木林にでかいクヌギがあるの知ってるか、」
  少年は首を振る。
  「入り口から五本目のクヌギが一番樹液を出すんだ。朝一番に行って見てみろ。ヒラタもミヤマもわんさかいるぜ。夜のうちに仕掛けとくなら、焼酎ぶっかけとくか、よぉく熟したバナナ置いときゃオオクワだって来るかもしれない」
  少年の目が思いきり見開かれ、輝きを増した。
  「ホント!?」
  「本当だよ。でも秘密の場所だからな、誰にも言うなよ。内緒だぞ」
  「ホントにミヤマもオオクワもいる?」
  「言ったろ。俺はおまえに嘘はつかない。オスのヒヨコは卵は産まないし、ミヤマもオオクワもいるし、この綿菓子はもらいもんだ。ほら、やるよ」
  親父からもらった綿菓子を差し出すと、少年は素直に受け取った。どうせ客など来ない。クヌギまで案内してやろう、と立ち上がり煙草の火を消す。
  「おまえ、名前は、」
  「タツオ」
  歩みを止め、足元の砂利に指で文字を書く。
  「達男…、達者な男か」
  「達者ってなに、」
  「丈夫で元気って意味だよ。…将来はあれか、やっぱスポーツ選手か」
  すると達男はちょっと考え、「ヒヨコ屋って楽しい?」と訊くから吹き出してしまった。
  「俺はヒヨコ屋じゃねえよ。今日はたまたまバイトでヒヨコ売ってるだけだ」
  「ふぅん…」
  林の入り口が見えてきた。
  「オレ、大人になったらヒヨコいっぱい、自分でいーっぱい買えるようになる」
  「んで、ヒヨコ売りにでもなろうってか。んじゃあ、そんときはバイトでもしてやるよ。……ほら、見てみろよ。あそこが入り口なんだ。で、その石畳が途切れてるところの木が一本目のクヌギだ、な?」
  指さしながらそう言って振り返ると、そこには誰もいなかった。店の方に目をやったが、見えるのは隣の親父の丸い背中だけだ。辺りを探したが、坊主頭の少年はもうどこにもいなかった。

 「なんだよ、全然売れてねえじゃんか、」
  急に賑やかになったと思ったら突然、頭をはたかれて、顔を上げると園部さんだった。なんでか子供に囲まれている。
  「売れませんって、やっぱ。メスだから産卵するだの長生きするだのけっこう吹きましたけど、もう無理。見向きもされない」
  「おい、メスなんだぜ、これぜんぶ」
  「え、そうなんですか。あっ、しまった。あいつに嘘言っちまった」
  「あいつって、」
  「いや、いんです。それより、この子たちは、」
  子供たちは、息や手から香ばしい匂いをさせながら、皆てんでにヒヨコを手や肩にのせたりして遊んでいる。お子さま御一行に、綿菓子の親父も腕まくりしている。
  「こいつらはなぁ、俺の兄弟、みたいなもんだな。焼そばだのかき氷だのとうもろこしだの、とにかくすげえ食うからよ、財布もう空だよ……おい、二十もいりゃあ十分だよな、」最後の問いかけは、先刻の黄色い浴衣の女にだった。頷いた彼女と子供たちが、木箱にヒヨコを移している。取り落として逃げ出されたり、つつかれたりするたびに奇声が上がる。
  やれやれと隣に腰掛けた園部さんからも香ばしい匂いがした。
  「ヒヨコ、どうするんですか、」と訊くと、「どうするって、そもそも売れ残ったやつをこいつらの園に寄付しようと思ってたのよ。そしたら、全部が全部売れ残りじゃねえかこのやろう」と毒づく。
  「施設、ですか」
  「そうだよ、俺がガキの頃にいたとこ。バスと歩きでえっちらおっちら、まるで遠足の引率だぜ」
  ぼやきつつもどこか嬉しそうだった。
  「でもまあ、今日びヒヨコなんか売れるわけねえよなぁ。色ついてるわけでもねえし」
  「カラーだったら水色なんかいいですよね。涼し気で」と言うと、なぜか浴衣の彼女が振り返って笑った。
  「そういえばさー、子供の頃、水色のヒヨコが死んでさぁ、畑に埋めて生き返らせようとした奴がいたっけなぁ。生き返らないって大暴れしてたわよねぇ」
  「うるせえな、」園部さんは苦笑いしている。
  「え、」思考が止まる。夢を見ているような気持で、その短いやりとりを反芻する。
  「そら、おまえらそろそろ帰らねえとバスなくなっちまうよ」
  園部さんは膝を叩いて立ち上がり、ヒヨコの木箱を抱えると、子供たちの人数を数えはじめた。俺は、その姿をぼんやりと見つめる。じゃあ後はよろしく、と歩き出す彼を俺は不思議な気持のまま見送る。
  ハッとして、数歩先を行く彼に声をかけた。
  「園部さんって、」
  「なんだよ、」
  「園部さんの名前って、なんでしたっけ」
  はぁ? と訝し気な顔をしつつ彼は言った。
  「達男だけど? それがどうした、」
  園部さんの間の抜けた表情に、ぶっきらぼうな少年が重なる。
  「何じっと見てんだよ、気味わりいな」
  再び歩きはじめた園部さんは、ふと歩みを止め「あ、そうだ」とつぶやきながら走りよってきた。
 
  「おまえさ、今夜ちょっとつきあえよ。裏の林のケヤキの秘密、教えてやるよ。今思い出した。あれならヒヨコより売れるぜきっと」
  小声で耳打ちする園部さんに、子供達と彼女が「はやくー」と叫んでいる。じゃあまたあとでな、と言って参道を駆けていく彼はどんどん小さくなっていった。坊主頭の達男が、子供達といっしょに飛び跳ねている。頭の上にヒヨコの木箱をのせて。
  参道の向こうに、帰ってきた神輿の灯が見える。
  その刹那、聴覚が軋み、視界がぐらりと揺れる。
  達男たちのその幸せな光景は、闇に溶け出した神輿の灯の向こうへ、ふっと吸い込まれていった。
  どのくらいそこで立っていたろうか。気づくと、境内は再び縁日の喧噪に包まれていた。
  「…誰にも言うなって言ったのに、あいつ」
  一人でニヤついていると、怪訝な顔をした綿菓子の親父と目が合った。
  寝ぼけた蝉が、夏の幻影をかき消すかのようにまた啼きだした。

 
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