第5話 生き物は危機に瀕すると子孫を残す
いつのまにか、カレンダーは12月になっていた。
暖房を入れても、あたたまらない。振り払っても振り払っても、わけのわからない薄ら寒さが居座ってしまった。
忙しさが一段落したとき、私たちはホームグランドである東伊豆の仕事場に車を走らせた。伊豆海洋公園の近くに、仕事の基地として数年前にローンで購入したぼろい一軒家である。
初冬の海岸線を車が走る。おだやかな波と、やわらかい日ざしが心をなごませてくれる。この時期の海中は、透明度が高くキリッと美しい。でも、水温が下がっているはず。
ポンペイでは薄手のウエットスーツだったけれど、こちらではロクハンといわれる、厚さ6ミリ半の真っ黒いウエットスーツに身をかためて潜る……寒いだろうなあ。
湯河原で日帰り温泉の看板を見つけた。
『町営温泉・こごめの湯』
「温泉に入ってあったまろうよ」「賛成」
国道をそれ案内板にそって車を走らせると、『こごめの湯』は温泉街を見おろす高台にあった。
とろりとしたいいお湯で、久しぶりにホカホカした。
脱衣所でほてった体をさましながら温泉の効能看板を見ていたら、名前のゆらいが書いてあった。
「『こごめ』とは鎌倉時代からの呼び名で、『子込め』あるいは『子産め』つまり子宝の湯という意味である」
ふーん。そういうことかあ…。
「こごめの湯」効果があったようだ。それから、一か月もたたないうちに、あれれ? どうも、これは…。
年が押しせまったある日、産婦人科を受診したら、いつのまにか赤ん坊がお腹にいた。
すぐに思い浮かんだのが、あのピンクのサンゴ。
夫が撮影したポジフィルムをルーペでのぞき込むと、ピンクのサンゴがあった。ほんわかと幸せそうなたたずまい。なんだか、生きていくことのつじつまがあったような、そんな気持ちになった。私たちをとりまく薄ら寒さも、いつのまにか消えていた。
地球上の生き物は危機に瀕すると子孫を残そうとすることを、身をもって実践してしまったのである。
産院で妊娠を告げられたとき、私は外科で処方された首の痛み止めを飲みつづけていた。
「この2、3か月で、大きな病気をしたり、事故にあったりしたことはありますか?」
カルテに向かいながら、医師はマニュアルにのっとった質問をした。
「えっと、1か月ほど前に飛行機事故にあって通院中で、薬も飲んでいます」
医師の手からポトリとボールペンが落ちた。
「えええ!!!」
忙しく立ち働いていた看護師さんたちが一斉にふりむく。
私「…せ、せんせ、声デカイです」
医師はハッとして、カルテに「飛行機墜落による頸椎捻挫」と書き入れる。
のぞき込む私。その後ろからのぞき込む看護師さんたち。
以来、産院を受診するたびに、「あのヒコーキ事故のコバヤシさん」と言われることに。
こんなふうに、波乱含みの見切り発車で私の妊婦生活はスタートした。
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