
第6話
海辺のニンプ
文 /こばやしまさこ
写真/小林安雅
写真/小林安雅
スキューバダイビングにボートはつきもの。そして、ボートダイビングに、船酔いがつきものである。
漁船に乗ってダイビングポイントまで向かい、ドボンと潜る。ダイビング終了後船に上がってすぐに戻るというパターンが多く、乗船時間が短いので、船酔いもそんなにつらくない。
海外では、ダイビング専用のボートで一日中海に出ることがよくある。
ハワイ・マウイ島で潜ったときもそう。ダイビングを始めて間もなかったのころで、慢性的船酔い状態だった。ランチタイムも気持ち悪く、みんなから離れた場所でひとり身もだえしていた。そこに地元のダイビングガイドがやって来て、昼食を食べ始めた。テイクアウトの巻き寿司(当時のハワイで人気だった)にコーラ…私にとってはありえない取り合わせ。彼はそれをおいしそうに食べて飲む。目が合うと、口をもぐもぐしながらニッコリ。吐き気倍増。
そんな私も、いつからかまったく船酔いしなくなっていた。“慣れ”というより“気合い”である。
つわりは船酔いに似ている。つねに、そこはかとなく気持ち悪い。
ダイビングではひどく船酔いしても、海に飛び込めば不思議と治まった。
つわりだって、海に入れば楽になるかもしれない。しかし、季節は冬。ニンプに冷えは禁物である。
マタニティ雑誌でマタニティスイミングの記事を見つけたときは、「これだ!」と思った。さっそく雑誌に載っていた教室に問い合わせて、資料を送ってもらった。届いたパンフレットを読んだら、ウキウキ気分がシュルシュルとしぼんだ。泳げるのは妊娠4カ月以降、つまり、安定期に入ってから。ということは、肝心のつわりが終わるまでお預けじゃん! しょうがない。ひたすら、時がたつのを待つしかない。
通常、生まれてくる赤ん坊を夢見て過ごすマタニティライフとは裏腹に、水に入ることだけを夢見てやり過ごす日々だったのだ。
ついにマタニティスイミングの初日がやって来た。場所は都心のスイミングプール(東京のはじっこにあるわが家からバスで一本)である。
プールサイドで血圧測定をして、軽い準備運動をして、やっとのことで水に入った。
数カ月ぶりの水は清涼で、新鮮で、しばしうっとり。
マタニティスイミングは専門のインストラクターがいて、ニンプといえどもセッセと泳がされる。なんだかんだで、初日から800メートルも泳いだ。
メニューのひとつに、カエル背泳ぎなるものがあった。あお向けにお腹をポッコリだして、カエルみたいに手足をヒラヒラさせて水をかく(まじめくさってやっていたけれど、思い返すとけっこう笑える)。
最後は二人ひと組になって、相棒に肩をおさえてもらい、水底にあぐらをかいて座る「息こらえ」。これは出産のときに「いきむ」練習になるとのこと。「息こらえ」なら苦もなく、長時間できる。周囲から「すっごーい、こばやしさんって!」なんて言われて、ちょっと得意だった(バカだった)。
スイミングクラブを出たときは、水からあがった爽快感を久しぶりに味わって思わずスキップしてしまった。帰りのバスに乗って流れる街並みを見ていたとき、お腹のなかでブクブクとあぶくがたつ感触があった。これがウワサに聞く「胎動」!? 妊婦は胎動で母性を実感すると言われている。私は「うふふふ。水に反応したということは、将来海が好きになるぞ」と、ほくそ笑んだのだ。
マタニティスイミングではバタフライを重点的に習った。そして、マスターした! と思いこんでいた。これが落とし穴。
子どもが生まれてから、親子三人でプールに行ったとき、「なんと、私はバタフライができるんだぞ!」とオットと娘の前で披露。しかし、泳ぎ終わってみると二人の姿がない。恥ずかしくて逃げたのだ。オットいわく「ジタバタとしぶきをあげて、溺れながら前に進んでいた」。そうか、あのときは大きなお腹が浮き袋になっていたのか
… ナットク。
せっせと通ったスイミングも慣れてくるにつれ、物足りなくなってくる。理由は簡単だ。プールは海水じゃない。それに生き物がいない。
さらにもうひとつ苦痛になったのが、ニンプ同志の関わり。スイミングの後にお茶に誘われるようになって、最初のうちは楽しかったのだけど、浮き世離れな話題にだんだんついていけなくなった。ニンプ生活そのものが浮世離れしているし、私自身浮世離れに生きてきたけれど、浮世離れの質が違うというか…(くどいな)。
「赤ちゃんが生まれたら、2歳になるまでに海外旅行したいわあ」
「私も! 赤ちゃんは航空運賃がほとんどかからないものね」
「でも、機内で泣かれるのがイヤよね」
「あら、大丈夫よ。お医者さんに睡眠薬を処方してもらうのよ」
… こういうのが、ダメなんである。
マタニティスイミングでも保健所の母親学級でもよく言われたのが、「みなさん、この機会にお友だちをつくりましょう」。
私は違和感を持った。まるで幼稚園みたいじゃないか。「お腹が大きい」だけでくくって友だちをつくれなんて、いい大人相手に幼稚なんじゃないか。
バス停でおりて、アパートまでの道をとぼとぼと歩きながらため息が出た。爽快感なんて、もう感じない。運河にかかる橋を渡って、ふと見おろしたら、たくさんのクラゲがプカプカと浮かんでいた。東京湾がすぐ近くにあるこの運河は汽水で、ボラやハゼなどの海の生き物を見ることがある。
フワフワと漂う、透きとおったクラゲたちをしばらく見ていた。
「ああ、海へ行きたいなあ…」
魚が無性に恋しかった。水槽ごしじゃなくて、海で生きた魚に会いたかった。
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