
第8話
出産まぎわの産卵撮影
文 /こばやしまさこ
写真/小林安雅
写真/小林安雅
妊娠すると食べ物の好みが変わると聞いていたけれど、私の場合、飲み物の好みが変わった。それまでまったく見向きもしなかった甘い缶コーヒーにはまった。産院で妊娠が告げられたとき、無性にのどが渇いた。診察室を出てすぐに自動販売機に走り、缶コーヒーをたたき出してグビリ。
「ああ、こんなおいしい飲み物がこの世の中にあったんだ!」
病みつきになってしまった。今思うにお酒が飲めなかった分、別口で糖分をまかなっていたようだ。ニンプ生活の楽しみは起き抜けの缶コーヒー。クピクピ飲みながら水槽をじっと見る。でも、これが朝の風景とは限らない。昼過ぎだったりする。
水槽撮影中のオットはほとんど眠らない。カメラをかまえながら、ひたすら生き物のを見つめる。限界までねばりにねばって、やがてボロボロになって討ち死にするように眠る。決定的瞬間が近いときは、1時間後に目覚ましをセットする。朝も夜も関係ないのである。

カエルアンコウは「釣りをする魚」だ。ニセのエサがついた釣りざおのようなものをチンチロリンと振りまわし、魚をおびき寄せる。近寄ってきた魚に大きな口で食らいつく瞬間を撮影しようと何度もトライするのだけど、カエルアンコウはものすごいスピードで魚を吸いこんでしまう。
「ああ〜!! また、ダメだ〜」と身もだえするオット。
そんなオットにつきあって、気がつけば私も不健康なニンプ生活をおくっていた(マタニティスイミング? 何それ?)。
眠たくなったら寝て、目が覚めたら起きる。何かの本で、一日は24時間だけど人間の体内時計は25時間だと読んだことがある。これが本当だと実感したのは、どんどん起床時間がどんどんずれていったから。
物事のはじまりがあれば必ず終わりも来る。ニンプ生活もその通り、臨月に突入した。お腹はパンパンにふくらんで、いつ生まれてもOK、OK。
予定日が8月後半−−ということは、夏生まれ。名前に「夏」という字を入れようとアレコレ考えていた。しかし、予定日になっても、予定日を過ぎても、いっこうにその気配がない。産院では、少し遅れてもどうってことないと言われていたけれど、目ざめるたびに生まれる兆候の痛みを探りつつドギマギの繰り返しだった。
とうとう、8月のカレンダーをピーッとはがしつつ、「夏」のつく名前を一掃。
どーなってんだ!とあせるツマの横で、オットは水槽にかかり切り。このところ、キンセンイシモチのペアを見張っているのだ。キンセンイシモチを含むテンジクダイ科の魚は、マウスブリーダーといって、メスが産んだ卵をオスが口に入れてふ化するまで卵を守る。オットはこのようすを撮影すべく、ずっとスタンバイ状態なのだが…。
産卵行動のはじまりは、メスがオスのくちもとをつつくことからスタートする。オスはメスに応えるように、口をパクパクとさせて卵をむかえる練習をする。産卵が近づいてくると、オスとメスはすり寄って体を小刻みにふるわせる。
水槽のペアは、今しきりにその行動をしている。でも、ずっとその状態が続いて進展がない。
夕方、「早めのごはんにしようよ」と水槽にかぶりついているオットに声をかけた。「うー」とうなりながらテーブルについて、テレビの大相撲秋場所(秋場所だよ秋…)を見ながらソーメンをすする。「塗り箸はさあ、ソーメンがすべってよくないんだよ」などとブツブツ文句を言いながら。
土俵際で力士がもつれあって倒れた。一瞬凝視。「物言いがつきました」とアナウンサーの声を聞きつつ、目の端っこに不思議なものが見えた。
「…からし明太子」

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