第9話

ハッチアウト

文 /こばやしまさこ
写真/小林安雅



キンセンイシモチは群でいることがあるが、産卵期は群がばらけて、ペアがあちこちにに見られる。
  キンセンイシモチの産卵行動は、ペアとなったメスがオスの口もとをつつくことから始まる。オスはメスに応えるように大きく口をあける。これを何回も繰りかえす。メスが産む卵がおさまるように、オスに練習をさせているのだ。
  メスの産卵と同時にオスが身体をすり寄せて放精する。そして、すぐに卵をくわえるも、最初のうちはうまく収まらず、卵を口からはみ出させている。オスは卵をオエッと少し吐き出してたり、くわえなおしたりを繰りかえす(そりゃ苦しいよなあ…)。メスはそんなオスをしきりにつつく。新米パパを叱咤激励して、子育ての自覚をうながしているように見える。


 オスの口にすっぽり卵がおさまり、やっと落ちついたキンセンイシモチペアの水槽の外では、人間のペアがあわただしく産卵…いや出産行動をはじめていた。
  産院から一日の猶予をもらったけれどお腹は平安なまま、とうとう陣痛は起こらず…。それで、これから入院し、排卵誘発剤で赤ん坊を世の中にデビューさせることになったのだ。
 
  出がけに水槽をのぞいて、キンセンイシモチ夫婦にしばし別れの挨拶。オスの口の中の卵は最初からし明太子そっくりだったのが、少し灰色っぽくなっている。じっと見ると、卵のひとつひとつに黒い小さな点々が。目ができた。ふ化が近いようだ。
「こっちの出産と、どっちが早いかなあ…。同時だったりして」と言ったら、
「それが一番困るんだよなあ…」とオットは浮かない顔。産卵の決定的瞬間を撮り逃してしまったので、せめてハッチアウト(ふ化)をモノにしたい。
  入院手続きが済んだら、オットは「じゃあ、明日ね〜」とスタコラ帰っていった。

 一夜明けて、出産当日となった。
  出産関係の本や雑誌から得た情報では、陣痛が起きてもしばらくは病室でスタンバイして、いよいよ出産というときに分娩室に移動するという段取り。でも、誘発分娩になった私の場合、朝起きて朝食をとるとすぐに分娩室に案内された。(いきなりかい!?)
  四方をカーテンで囲われたベッドに横たわると、すみやかに陣痛促進剤の点滴がなされる。点滴の針は金属ではなくて、プラスティック製とのこと。
「あばれても針が折れる心配がないんですよ」と看護士さんはにこやかに伝えてくれたけれど、針が折れるほどあばれるのか…と冷や汗タラリ。そこへカメラバックを肩からさげたオットが現れた。立ち会い出産なのだ。

 点滴がスタートして数分もたたないうちに、ズンドコ、ズンドコと陣痛がやって来た。「イテテテ…」
  閉じられていたカーテンがサッと開くと、カルテを手にした先生が現れた。
「小林さん、えーと、先日のレントゲン検査の結果、あなたはちょっと尾てい骨が変形していましてね。産まれるまで最低8時間はかかります。まあ、気長にがんばりましょうね」と弁舌さわやか。そして、ふたたびカーテンが閉じられた。
「ちょっと、初耳だよ! 誘発分娩のメリットは短時間じゃなかったのかよ … イデデデデ〜!!!」
のっけからパニック! 痛みも倍増である。すると、またカーテンが開き、今度は看護士さんが、「小林さん、長丁場なのにそんなに痛がったら疲れてしまいますよ。習ったでしょう、ヒッヒッフ〜。ほら、ご主人、手をにぎってあげましょうね」
  本で読んだ、陣痛をこらえるために立ち会った夫の手を強く握ってアザができたという話を思い出した。このとき、陣痛は10分間隔。よし、次の痛みが来たら、試してみよう。で、うち寄せる陣痛の波とともに、オットの手をギュウと握った。そしたら、オットも負けじと、ギュウウと握り返してきた。
「イダダダダ! なんてことするのよ! もう、いいわよ、もう、あんたなんかあてにしない! あっち行って!」 
トボトボと部屋を出ていこうとするオット。
「ちょっと待ちなさい! やっぱり、ダメ!」
「ちょっと、タバコ吸ってきていい?」
「ダメ、ダメ! ぜーったいダメ!!!」
  襲いくる痛みをオットにあたりちらすことで紛らわしていたら、ふたたびカーテンがシャッと開き、看護士さん登場。
「あのね、もう少し、静かにできます?」