第14話 海辺の家族
まだ深い海を知らない子どもたちは、メガロパみたいだ。
私は新しい楽しみを見つけた。
海という自然のなか、子どもたちがどう反応するかウオッチングする楽しみである。
以前にも数回、子ども向けの海の自然観察会やスノーケリング教室の手伝いをしたことがある。そのときも子どもたちのリアクションが、とてもおもしろかった。
東京湾の磯で自然観察したときのこと。
すばしこいフナムシを捕まえるのが、天才的にじょうずな子がいた。「すごーい!」と本気で感動したら、その子は得意になって、よせばいいのに、ビニール袋いっぱいのフナムシをおみやげに持ち帰った(あの子の家での惨劇が想像すると、おかしくておかしくて)。
また、海の生き物をさわれない女の子がいた。海藻さえもダメで、ずっと私にひっついていた。そこで、砂の中から見つけたアサリをその子に見せた。
「ほら、おみそ汁に入っているアサリと同じだよ」
おそるおそる出した小さな手にのせてあげると、女の子の顔がパアーッと輝いた。
井戸水に手をふれたヘレン・ケラーが「ウオーター!」と叫んだように、その子は何かをつかんだようだった。
「お母さんにも見せてあげる」とアサリを大切にハンカチにつつむ子を見て、私もサリバン先生みたいな気持ちになった。
しーちゃんの子ども、サキとユウタと海で過ごすようになって、そのときと同じ楽しみが甦った。
小学校2年生のユウタは、小さいときからスイミング教室に通ってきたこともあって、水泳は申し分なし。でも、マスク、フィン、スノーケルをつけて泳ぐと、5メートルも進まないうちにすぐ身を起こしてしまう。
「どうした?」と聞くと、「苦しい…」の一点張り。
ううむ、なぜ苦しい?。
しばらくして原因が判明。なんと、ユウタはスノーケルを口にくわえつつ、ずっと息こらえをしていた。スイミング教室で練習する面かぶりの条件反射かも。
ユウタのお父さんが一緒に泳ぎながら
「息をしろー、息!」と連呼。
ちょっと時間を要したけれど、ユウタはスノーケリングをマスターしたのである。
次の年の夏、サキとユウタはスノーケリングがすっかり上達していた。ふたりを連れて沖に出てもまったく危なげない。ムスメの浮き輪を交替で引っぱってくれる余裕もあった。
人見知りするタイプのユウタが、なぜかうちのとーちゃんにまとわりついて離れない。
しーちゃんの家には海水魚の水槽があり、タイドプールで採ってきた小さな魚を飼っている。この夏のユウタは、南の海から流れ着くチョウチョウウオのチビを採って帰るという野望を抱いていた。
チョウチョウウオのチビは死滅回遊魚と呼ばれている。文字通り、海流にのって伊豆半島にやってきて、冬に水温が下がると死んでしまう。ユウタはだから、水槽で越冬させてあげたいのだそうだ。
魚の採取にかけて右に出るものがいない(?)うちのとーちゃんに、ユウタは懇願と期待で目をうるうるさせている。
その年の伊豆は水温が低く、死滅回遊魚はほとんど見られない。でも、子どもの気持ちは裏切れない。2時間近くスノーケリングで探し回った。
あきらめかけたころ、波打ちぎわの岩陰にブルーに光るモノが。
そっと、近づくと、な、なんと! サザナミヤッコの幼魚ではないか!
とーちゃんと私、しーちゃん夫婦の4人で、大捕物となった。
夕暮れ近い海辺で、4人のおとなが必死に網を振りまわした。
サザナミヤッコのチビはスイッスイッと身をかわし、岩のすき間にもぐり込んでしまう。かなりねばったけれど、とうとう日が暮れてギブアップ。
おさまらないのがユウタ。
そのときは寡黙だったが、心中はメラメラ。
後日談である。
しーちゃんから電話があった。熱帯魚店でサザナミヤッコの幼魚を買わされたんだそうだ。「3千円もしたのよ!」だって。
ワハハハ! 大うけ。
子どもと暮らすおかしみって、こういうことなんだなあと思った。

さらに後日談がある。
このエピソードをダイビング雑誌のエッセイに書いたところ、非難の投書が届いた。
「わが子のために、私たちダイバーが大切に見守っている魚を追い回すなんて、自分勝手な親!」
なるほどと思った。
今まで心にしまってきた、あのときの「なるほど」に続く思いを今書こう。
あの投書は、正論であるけれど、正解ではない。
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