第19話 「海中記」

それから二年間、オットは海中記にかかりきりになった。
オットの写真で足りなかったもののひとつが、定点撮影である。
そこで、ひとつのテトラポッドに狙いを定めて同じ角度で撮影することに。
水中の撮影では、固定するための三脚を使わない。オットは大きめの石を決めておき、毎回それを股に挟み自分自身が三脚となって撮影した。
一月に一回定点撮影を続けたが、台風や低気圧が来ると潜れないこともあり、なかなか大変だった。
海中記の「テトラポッドの1年」と「海中の四季」というそれぞれ2ページに、一年間を費やしたことになる。
「海中の四季」では、海中にある岩場を撮影して海藻や海水の色の変化で、海中に四季があることを現した。


海中記をつくる二年間、オットは単身で海に通うことが多かった。母娘は東京で留守番である。私はムスメを保育園に通わせて、ライターの仕事を再開していた。海には行けないので、もっぱら育児雑誌で書いていた。

オットガとーちゃんとして東京の家にいるときは、よく保育園のお迎えに行った。
ある日、保育園からとーちゃんと帰ってきた娘の機嫌が恐ろしく悪い。脱いだジャケットをバシバシと床にしばいている。
とーちゃんが不機嫌の顛末を教えてくれた。
娘と保育園の門を出るとき、迎えにきたらしいおばあちゃんと遭遇。
おばあちゃん「あら、かわいい。お名前は?」
娘「にしゃーい(二歳)」
おばあちゃんは「あら、お年と間違えたのね。ほほほ」と言いつつ、去っていった。
娘はとーちゃんに「もっか、もっか、もっか(もう一回)」とせがむ。
仕方ないので、おばあちゃんを追いかけて
「すみません。もう一度聞いてやってくれませんか」とお願いした。
おばあちゃんは再度「お名前は?」と聞いてくれたが、娘はふたたび
「にしゃーい」……リターンマッチ、不発。

とーちゃんが単身赴任中も、私の仕事が一段落すると娘と電車に乗ってよく伊豆の仕事場に出かけた。荷物を置いて、さっそくとーちゃんが潜っている海辺に行く。平日の夕方で人影はなく、潜っているのはおそらくとーちゃんだけ。
娘と波打ち際にたたずんでいると、水面の向こうの方からポコポコ泡が移動してくる。
私「ほら、とーちゃんがもうすぐ出てくるよ〜」
わくわくする娘。
ぽっかりととーちゃんの頭が出た。アザラシそっくり。
娘「パッパー!!」
とーちゃん「あー、○ちゃん!」 
感動の対面である。

保育園の連絡ノートに先生が書いてきた。
「お父さんのお仕事はなに? とみんなに聞いたら、○ちゃんは『お茶碗並べ!』と言いました」
会社勤めではないとーちゃんの仕事を、娘がよく把握できないのはしょうがなかった。でも、このころから「どうも私のパパは海でお仕事をしているみたい」だと、ぼんやりとだけどわかってきたようである。

「海中記」ができあがった。
大型で全ページカラーであるぶん、価格も3000円以上する。これまでにとーちゃんが出した本は、ほとんど1500円以下…。こんな高い本が売れるのか不安になった。
でも、不安は吹っ飛んだ。なんと、すぐに増刷になったのだ。
ダイバーだけでなく一般にも受け入れられた。青く沈んだ海中のような場所から、急に日当たりに浮上したみたいだった。